セクハラ
ただいま、セクハラ問題が世間をにぎわせておりますが、特に、東京都内において・・。
そのことは、しかるべき有識者が熱く、あるいは、ひややかに、あるいは、論理的に解説をあちこちでしてくださると思いますので、私はちと違う話を書いてみたいと思います。
セクハラには、「対価型」と「環境型」の大きく二つがある、と言われております。
「対価型」というのは、「おい、俺のいうことを聴かないといい仕事させないぞ」「私の言いなりにならないとポジション変えちゃうわよ」というようなものです。
昔の悪代官とかよくやってましたね。そして、必殺仕事人に成敗されるという・・・。
「対価型」ってすごくわかりやすいので、「誰もがそりゃまずいでしょう」と思うわけです。
問題は、「環境型」です。
「性的嫌がらせと思われるようなことを言ったりしたり見せたりなんだかんだ」が環境型です。
これ、わかりづらいんですよね。人によって捉え方も違ったりするし。
私1986年入社の「均等法一期生」世代ですが、当時、働く現場は右往左往だったことをよく覚えています。幸いにして外資(DEC)に入社できたので、さほど「男女差別」は受けた記憶がありませんが、それでも、当時の上司は、「おい、25歳以下の若いインストラクタは、池袋の駅前に行って、客探して来い!」と平気で私などに言いましたし。(風俗か!?)
上司や先輩に「おい、ねえちゃん」「そこのねえちゃんたち」と呼ばれたこともたびたびありました。まだまだ過渡期だった時代。
純性日本企業に入った友達は、企業が年末に作るカレンダーを見ては、嘆いていました。
「うちの会社、2種類カレンダーを作るんだけどさ、1つは、かならず”裸カレンダー”なんだよ。」
「何それ? ヌードカレンダーってこと?」
「ヌードなんて自分の口で言いたくないからさ、”裸カレンダー”って呼んでいるのよ」
・・・なんて会話を交わしたのも1986年当時のことでした。
今では、どれもこれも”ありえない”ですね。今であれば、こういうのは「環境型」に分類される案件でしょう。
さて、それから30年近くたって、今のセクハラ定義には「男性→女性」だけではなく、「同性同士」というのも含まれておりますが、だから、女性が男性にハラスメントしないとも限らないわけです。
で、クールビズとかスーパークールビズになってよく思うのは、
●へそだしている女性
●生脚ミニスカート女性
●ホルタ―ネックだのタンクトップだのの女性
これって、「環境型セクハラ」だよね、ってことです。
男性は言いづらいでしょうから、私が言っておきましょう。
女性の「過度な露出」の服装、それ、「環境型セクハラですから~」
以上です。