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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

それはフシギな出来事でした。

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先週、大阪に出張していた時のことです。

8月2日(火)朝。仕事先への移動でJR大阪駅から地下鉄御堂筋線に乗り換れる通路で、ちょっと前に立っていた男性を見て「あ!Kさんだ!」と思いました。二度見したら、まったく別人でした。

同じ日、仕事を終えて東京へ戻った新幹線の乗り換え口でのこと。「あ!Kさんだ」と別の男性を見てそう思いました。よく見たら、全然違う人でした。

翌8月3日(水)、日中、顧客先から勤務先に戻ろうと地下鉄四ツ谷駅を歩いていると、10メートルくらい先に「Kさん!」がいらっしゃいました。三度、よく見ればKさんではありませんでした。

7年か8年か、とにかく、ずーっと前に引退されたKさんに似た人を、2日で3回も見かけたことから、急にKさんのことが気になり始め、Kさんのことを知っているに違いない、元同僚にメールしてみました。

「つかぬことをお尋ねしますが、私たちがKさんとお別れしたのは、いつかわかりますか?」と。

彼からは「淳子さん、Kさんのご命日は、8月3日ですよ」との返事。

あ、そうだったのか。8月3日だったのか。

「もう葬儀等も終えましたが、お世話になった皆さんに連絡だけは」とお知らせいただいたのが、昨年晩秋のころ。ご命日をうかがうことなく、ただ、「Kさんはお亡くなりになったのだ」とただただ驚き、そして、ひっそりと冥福を祈りました。

当社を引退後、神戸の大学で教鞭をとっていらっしゃいました。次世代のIT人材を育てるのだ、と学生には熱い指導をなさっているという話も耳にしていました。

4年前、2007年夏。私が大阪出張をする、と連絡したところ、「じゃあ、神戸までおいでよ。夜景が見えるレストランで美味しいものをごちそうするから」とおっしゃってくださって、ほいほいと神戸まで足を延ばしました。

美味しいお食事をいただきながら、現役時代には聞くことがなかった「経営陣として会社や社員をどう思っていたか」とか「私に対して期待していたこと(していること)」などを、いろいろ話してくださいました。

こうやって元上司と、ざっくばらんに話すのもいいもんだな、と思ったものです。
帰京後、すぐにお礼を葉書一葉したためたものの、それ以来、再びメールのやり取りも途絶えていました。


とてもお元気だったKさんの突然の訃報。とはいえ、もう縁も薄くなっていたので、この1年思い出すこともほとんどありませんでした。

ところが、8月2日、3日に3回もKさんによく似た人を見かけたのです。
8月3日がご命日だったと初めて聞き、ああ、そういうことか、となぜか納得してしまいました。

Kさんのことを問い合わせた先である元同僚に、
「実は、2日続けてこういう出来事があったんだ。Kさんは”僕のこと忘れないでね”とおっしゃっているのかな?それとも、”淳子さん、ちゃんと頑張ってる?”とはっぱかけてくださっているのかな?」とメールすると、「Kさんは、淳子さんを応援してくださっているんじゃないのかな?」と書いて来てくれました。

そうかもしれないな、うん、そうなんだ、きっと。


Kさん、私は、頑張ってやってますよ。まだまだ、ですが、それでも、楽しく新しい仕事に取り組んでいます。楽しい!は大事ですから。
神戸の高層階レストランからKさんと共に見下ろした美しい夜景を久しぶりに思い出しました。


命日を確認して以降、Kさんと思しき人を見かけることはなくなりました。

私の心にしっかり刻まれたから、なのかも知れません。

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