「できないから任せられない」のか「任せないからできない」のか
先日、ある方と話していたら、「任せられる人がいないから」という話題になりました。
うん。そういういうことは確かにあるかも。本当に向いていない、という領域は、誰にでもあるでしょう。人間だもの。
でも、さらによく聞くと、「一度任せてみたけど、うまくいかなかったし」とか「任せようとすると、本人が尻込みしちゃって挑戦する気持ちがそもそもなさそうだし」とか、そんな話が出てきます。
そうこうしている内に、いわゆる「できるひと」「任せられそうなひと」に仕事は集中。その中にはマネージャも含まれるので、マネージャはいつまで経ってもただただ忙しい。「抱え込み症候群」から脱却できない。
確かに、適材適所ってことはあると思います。でも、適材適所というのは、1回試してみたけどダメだった、とか、本人が尻込みしているから無理そう、というようなことで判断してはいけないんじゃないだろうか。
失敗してもまたチャンスを与え、とにかくやってごらん。援護射撃はするから、とか、外野の守備が万全だから、とそんな風にリスクマネージも含めて、部下に任せてみないと「本当に適材ではない、向いてない」なんてすぐにはわからないのではないだろか。
「当人が尻込みしている」についても同じで、「しり込み」なんか無視して、「まあ、いいから、おやんなさい。大丈夫、助けるから」と背中押してやって、それでやってみたら、「案外できた」とか「意外に楽しかった」などといって目覚める人もいるはずです。(食わず嫌いな側面もたぶんにあるに違いない)
わたくし、楽観的なうえに性善説に立っているので、「とにかく任せてみなはれ(サントリー風)」と思うのですね。
「できないから任せられない」のではなく、「任せないからいつまでもできない」んじゃないかしらん。
で、これは、部下のことだけでなく、上司にも同じことが言えて、「任せてみない、から、いつまでも任せられないと思う」ような気がします。
尻込みしているのは、部下だけではなく、案外上司だったりするのかも。
崖っぷちに立ったら、火事場の馬鹿ぢからを誰もが出すはず、と私は信じているんです。