郵便番号の記入枠
Email の普及で、郵便物に宛先を手書きする機会が減っているので、年賀状を書く季節になると、郵便番号の記入枠を見て毎年ある記憶が呼び戻される。東芝科学館のページに書かれている情報によると、郵便番号の自動読取区分機が最初に実用化されたのは、1967年と書かれているので、来年で40周年だ。東芝では何かお祝いでもあるのかも知れない。
恩師である故駒宮安男教授は、しばしば郵便番号の記入枠の話を取り上げて、「工学」的なものの考え方を説明されていた。現在においても私が知っている限り、日本以外で郵便番号の記入枠が使われているということを聞いたことがないが、40年前の、コンピュータを触ったことがある人などほとんどいなかった時代に、記入枠の採用によって、日本は世界に先駆けて郵便番号の自動読取区分機の実用化に成功した。現在の技術を使えば、記入枠などなくても特定のフォーマットで封筒の表に記述された数字の列を見つけて認識することは可能だし、数字など書かなくても手書きの住所から読み取ることもできるかも知れない。
適当な位置に適当な大きさの文字で書かれた数字を認識させることが難しいのであれば、記入枠をあらかじめ作っておくという解決策は、普通に思いつくかもしれないが、駒宮教授が力説していた工学的な重要性は、「ユーザに負担をかけずにコンピュータに近づける制限」として、記入枠というのはすばらしい発明であったということである。その証拠に、記入枠がなくても認識できる技術がある現在においても、記入枠を廃止するという話は聞いたことがない。いくらコンピュータが認識しやすいようにするためであっても、ユーザが負担に思って使われないものでは意味がないということである。
もう一つ工学的に重要なことはコストである。理学と工学の間には、コストを無視しても真理を追い求めるか、コストを含めて実際に使われる技術を目指すかという大きな違いがある。工学的にはユーザが負担を感じない制限をうまく設定することで、コストを下げることは価値がある。現在の技術で、記入枠なしの認識が可能だとしても、記入枠を使った郵便番号自動読取区分機が十分に小さいコストで作れるのならば、ユーザに負担がない限りわざわさ記入枠を廃止する必要性は「工学的に」ない。
ソフトウェア開発においても、技術を追い求めるだけではなく、ユーザに大きな負担を与えない制限をつけて、コストを下げることができる可能性があるかどうかは考える必要がある。考えずに作っていると「すばらしい機能だが、そこまで必要がないよ」というような機能ができ上がってしまうことがある。バランスの悪さを感じる機能は、もう一度考えてみたほうがいいかも知れない。また、不可能と思うことでもうまく制限をつけることで可能になるかもしれない。