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ソフトウェア製品開発現場の視点

技術を活かすも殺すも人間次第

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テクノロジーの進化によって、昔は不可能だったことが可能になってきている。テクノロジーは普通は不便なものを便利にするものと思われているが、多くの場合人間にある程度の我慢を強要する。得られる便利さがその我慢に値するものであると、そのテクノロジーは広く使われるようになる。しかし、残念なことに得られる便利さに値しない我慢を強要されることも多い。

自動車は、それがもたらす移動の自由を得るためには、「運転技術の習得」というかなり高いレベルの「我慢」が必要になる。それでも多くの人が安くはないコストを払って自動車教習所に通う理由は、それによって得られる「移動の自由」が免許証取得までの我慢を大きく上回っているからではないかと思われる。

PC の場合は、初期の段階からキーボードという大きな「我慢しなければならないもの」が存在した。その後マウスが発明され、文字認識技術が発達してきたが、未だにキーボードの機能を置き換えるまでには至らないため、依然としてキーボードが使われ続けており、通常 PC を使うためにはキーボードを使えるようにならなければならない。ここで面白いのは、我慢の対象であったキーボードが、いったん習得してしまうと文字を書くのに一番便利な方法になってしまうことだ。キーボードを習得した人は、いくら文字認識技術が発達しても、もう「手書き」には戻れない。

ソフトウェア開発も含めて、エンジニアリング的には、人と機械のインタフェイス部分を作るときには、「人間が許容できる制限」をいかにうまく作るかが、非常に重要になる。人の方に寄せすぎるとコストが高くなり受け入れられず、機械のほうに寄せすぎると使いにくくて受け入れられない。ここの作り方が、その技術が広く使われる技術になるかどうかに大きく影響していると思う。

Comment(1)

コメント

ねこまっしぐら

はじめまして。ねこまっしぐらといいます。
記事とはあまり関係ないのですが、ふと思った事をコメントさせていただきます。

とあるゲームでこんなくだりがありました。
「進歩した科学技術は神秘を現実とする魔法と変わりない。魔術よりも科学技術のほうがよっぽど魔法じみている」
というものです。
ここでいう「魔術」とは、火を起こすとか、理論さえ学べばあるいは可能な術、「魔法」は、異世界への旅行のような、本当に「神秘の為せる業」といった感じで区別されているものです。
人がこれまで「我慢」し、「どうにか楽になりたい」という欲求があったからこそ、車とかパワステとか、あるいはマウスとかパソコンとか。そういう魔法じみた技術が当たり前の技術となってきたのでしょうね。

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