カタン島狂想曲
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今日は全然仕事と関係ない話。
ぼくはわりとボードゲーム好きで、ただ時間の関係上、自分の開く会くらいでしかゲームをやれない人なんですが、先日久しぶりにほかの会に行きまして、とはいっても、わりと内輪の、ふだんボードゲームをやってない方が中心のゆるい会です。
で、カタンってボードゲームがありますよね。ボードゲームの中ではかなり名前が知れていると思われます。ひさしぶりにやったんですが(とおもったら全然久しぶりじゃなかったんですが、記事が破綻するので久しぶりだったと言うことにします)
あいかわらずサイコロに見放されている感じがあります。
大事なことは見放されている感じであって、ほんとうに見放されているわけでは無いということなんですが、これってけっこう大事というか、結局確率で話すと平等なんですが、ひとの体験って、その人の独立試行の結果に過ぎないし、そもそも、ひとはマイナスの結果のほうをよりつよく覚えるわけで、結局だれもが見放されている感じを受けやすくなっているわけです。これってどうなんかなーと思ったりするんですよね。カタン、面白いんですけど、そういう不協和音が必ず感じられる気がしていて、ほんとごくたまに箱を開けるゲームになってます。いや、それでも面白さが勝つのでたまにはやるわけです。
ディスってるわけではないです。そもそもその不協和音って個人差が激しいんでしょうから、ぼくにとってはその部分が強く感じられる「ことがある」ってレベルなんでね。
でもまあ、またやるとおもいます(なんだこのオチは)
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