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よわよわ、りろん

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ホネーキンすぎもとです。誰だよ。

ちょっと前にこんな記事を読みました。

安住紳一郎が台風19号直撃前の京都で見た防災達人の驚きの行動

へー、と思いました。おわり。

 

 

 

 

 

じゃなくて。

こう言うのみると、あー、こういう機転がきくひとっているよなーってつくづく感心してしまいます。ぼくは災害とか非常事態のときに真っ先に死ぬタイプです。なんというか、与えられた情報から利害をちゃんと読み解いて、正解を選ぶってのがものすごく苦手ですね。なんかもう面倒くさくなっちゃう。

それでも、「選択肢はこちらで、この中にはいいものもあればわるいものもあります」ってなっていればましです。適当に選んでいても、たまにはいいものを引きますから。ところが、先に挙げた例のように「そもそも選択肢がどれかが明示的でない」って状態で、最善手を選ぶのはたぶん無理だと思うんですよね。見えてない。たぶん、どうでもいいことばっかり見えてて知れないけど、見なきゃ行けないポイントが全然目に入ってないんだと思います。

お金の損得計算とかもほんと苦手なんですよね。人生の選択で言えば、一見悪い選択だったことも、場合によってはそう悪くないんじゃないの、ってのをがんばれば言い張れるケースもあるかも知れませんが、お金はそれが良かったか悪かったか比較しやすくて、なかなか自分のなかで損しても良かったというふうにはなりづらいですよね。

それを良く表していることとして、ぼくは最近ボードゲームを良くやってるんですが、ものすごく弱い。たまに勝つと珍しがられるレベルです。ボードゲームってのはまさにジレンマとの戦いですから、これに弱いってことは、人生においても弱いってことだと思います。ぼくにとってボードゲームが好ましいのはそのルールと、それによって人たちがどう動くのかな? っていう興味であって、自分が勝つにはどうしたらいいかってところまで考えが及ばないあたり、まあ、強くなりようがない気がします。人生においても同じなんじゃないかなぁ、とか思ったりします。人がどんなことを考えてるとか、そういうの好きなんですけど、自分がよりよくなるには、みたいなことはどうも鈍いんですよねえ。DSC00013 (Small)

日々、お金を稼ぐには、ってことをちゃんと考えてる人を見てると、ほんとうに、自分がいま生活できてるのはほとんど奇跡で、気がつくともうどうにもならなくなっちゃってんじゃないのか、なんて恐怖に駆られたりします。まあでもこうやって生きていってるのは事実なわけで、最善手は確実に選べていない自信はあるものの、かといって最悪なことにもなってないってのは、下手なりになんか運が良かったり、その別の要因とかもあって、とりあえず今のルールではぎりぎり戦えてるんじゃなかろうかと思ったりするのです。

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