2011年を表す一文字は「曝」
2011年においては、3.11の大震災は日本、否世界のトピックとしてはずせません。
そこにはたくさんのキーワードが出てきたように思います。
放射能関係の専門用語やその生い立ち、そこに関連してきた政治と東京電力をはじめとする電力会社の間に存在する巨大な利権構造、その電力会社をスポンサーとする自治体や媒体との長年にわたる癒着などが白日のもとに「曝(さら)され」ました。
電力会社の売り上げや利益は「総括原価方式」といって、かかった費用に3%の利益を無条件で上乗せすることも曝されました。
費用が上がるほど利益額が上がるというふざけた仕組みがバレてしまったわけです。
大手メディアへの膨大な宣伝広告費や研究施設として国立大学などへの補助金、原発の地元への補償金から東電社員補の福利厚生や接待費の一部まで含めた費用はノーガードで計上され、単純にそれに3%の利益を上乗せしていたわけです。
費用が1兆円の3%は300億円ですが、1兆5千億円の3%450億円となりますので、費用が上がるほど利益額が上がるわけですからコスト削減のモチベーションは働かないですね。
大手広告代理店に対して多大な広告宣伝費を支払って「原発は安全でクリーンなエネルギー」と喧伝させ、我国の最高学府には「原発を支援する(意義や疑問を申し立てない)研究者やその指導者に対する膨大な補助金を提供して、それを政府が後押していたわけですが、それに3%上乗せされた電気料金を我々は負担させられてきたのですね。
もっと驚かされたのは、極めて脆弱なニッポンのリスクマネジメントとです。
利権を求めて、あるいは巨大化を目指して突っ走る与党(当時は自民党・中曽根)と大手媒体(読売・正力)に対して、全く抑止力が働かず、半世紀余り経った今そのツケを請求されています。
「総括原価方式」なんだから、リスクマネジメントの費用もきちんと計上していればよかったのかとも思われますが、そのあたりはほぼスルー状態であったようです。
おそらく「面倒くさい」とか「上乗せすると大幅な電気料金の値上げになる」とか理由はあったのかもしれませんが「うまく宣伝して、反対意見を抑えておけば何とかなる。なんかあったときは、そん時はそん時だ」と半世紀余りが経ってしまって「そん時」が来てしまったのですね。
第二次世界大戦の後半と同じように、後付けで考えると「何て馬鹿なことをしたんだ」と誰が考えても分かるような間違いが極一部のエリートの利権や面子や惰性によって発生、継続され、そのツケのほとんど我々国民が負担させられ、今後の負担されられそうなことが、今回の3.11で曝されたました。
終戦直後、マッカーサーは「日本の年齢は12歳」と言ったとされていますが、その心は「世の中の理屈や善悪は何となく分かっているが、後先考えず万引きしてしてしまう小学六年生」と読み取れます。
その数十年後に、また極一部のエリートとおぼしき方々が、少々悪知恵がついて今度はばれないようにお金をばら撒いて再び「万引き」をし続けて、それが今年バレたのですね。
最大にして最強のインフラである電力が、極めてリスクマネジメントが脆弱で利権とそのお手盛りの癒着に塗れていることが曝され、一事が万事、その他の事柄についても常に眉毛に唾をつけて見ていかなければならないと感じます。
政治、マスメディア、国策企業の大いなる癒着の構造が曝され、ニッポンの暗部というか恥部が明確になった1年であったと思います。
また、いろいろと曝されたこにより、マスメディアや政治家に発信することは「真に受けてはいけない」と我々は学んだのではないでしょうか。
というわけで2011年の一文字は「曝」です。
個人的には今年の1月から「誠ブログ」に参加させていただいたことがトピックです。
このブログを通して自分のことを「曝(さら)す」ことを始めたわけでして、それによりたくさんの出会いや多少の化学反応があり、有意義な1年になったと思います。