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株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

日本流にアレンジするということ

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2年ほど前、日本IBMが外資企業でありながらなぜ、日本の企業社会に深く根を下ろして、多くの尊敬を集める企業になったのか、その経緯を「調べよ」と言われて、調べたことがあります。

神田神保町の古本屋街で資料を漁る時間はなかったので、アマゾンで買えるだけの日本IBM関連古書を全部入手し(とは言っても7冊程度)、米IBM本国のウェブサイトで公開されている社史なども参考にしながら、ざっと以下のようなことを把握しました。

・1961年に椎名武雄氏が工場長となり、「本社の製品をノックダウン生産するだけなのはつまらない」、「世界1のコスト削減を実行して本社をあっと言わせてやろう」と宣言。これを実現した。
・日本の生産能力が認められ、旗艦製品システム360の生産を65年から任せてもらえるようになった。
・73年には製品開発系の研究所を日本に開設できた。ここでは電算機の日本語処理やコミュニケーションを研究した。
・78年と80年に日経新聞および朝日新聞の新聞電子編集組版システムを完成させた。これは英語圏を含めて世界初の新聞電子編集組版システム。日本語処理技術の蓄積にもはずみが付いた。
・81年から日本独自のポータブルコンピュータの製品開発がスタートした。これが83年に画期的な1台3役(日本語ワープロ、コンピュータ、ホスト端末)の5550のリリースで実を結ぶ。
・日本IBMは、81年~90年にかけて、資本金・社員数2倍、売上高4倍、利益2倍と業容を拡大。
・82年に、世界に4つしかない基礎研究所の1つが日本に設置された。
・これら日本の独自製品開発および研究拠点設置が実現したのはすべて椎名武雄氏の米本社への働きかけによる。”Sell Japan in IBM”。
・84年にアジア太平洋地区の拠点を東京に設置。
・売上は1987年に1兆円を超え、ドイツ法人を抜いて国別拠点でトップ。
・世界GDPに占める日本の割合が19.4%(1995年)、14.2%(1997年)、13.6%(2003年)であるところ、IBM WW売上に占める日本法人の割合は91年から2003年にかけて14%~18%と良好。

かなり圧縮して言うと、「日本のわれわれの力はすごいんだ!」ということを実績で証明して見せるなかで、基幹製品の製造→研究開発拠点の設置→日本独自製品の開発と販売→IBMグローバルに占める日本の売上比率向上という、よい連鎖がもたらされているということです。
椎名氏の”Sell Japan in IBM”、すなわち、IBMグローバルにおいては日本のわれわれ自身を売り込むという言葉は非常に有名です。この言葉は"Sell IBM in Japan"と対になっています。
こういう日本へのこだわりが研究開発拠点の設置、日本独自製品の開発などへつながっていきます。
外資系企業が日本市場向けに独自の製品を開発販売するということは、非常に重要なことであり、真に日本の会社になるかどうかの試金石だと思っています。てりやきバーガーを出した日本マクドナルド、”爽健美茶”を出した日本コカコーラなどを見ればわかります。そういう日本独自の製品をあーだこーだと企画、製造しているなかで、自然と日本市場における売上も上がってきます。いま”自然と”と書きましたが、安易すぎるかも知れません。その背後には様々な営業の方々の刻苦勉励があるはずです。

先週の土曜日は久々に家でごろごろする時間ができたので、「セブン‐イレブン覇者の奥義」などを読み進めました。
同書では、鈴木敏文氏が、米国サウスランド社からライセンスを受けるにあたって初めて受けた米国研修のなかで、米セブン-イレブンのマニュアルがまったく日本では役に立たないことを見抜き、非常に悔しい思いをしたということが記されています。同社の社史をご存知の方にはよく知られた話ですね。
ここから歯を食いしばって、日本市場に合うオペレーションを一歩一歩築き上げていったわけです。
こういう「日本流」へのこだわりはすごく大事だと思っています。

外資でマーケティング系ツールのローカライズに携わった人なら誰でも経験があると思いますが、通例、海の向こうの本社で制作されたツールは、日本では、まったく受けない内容になっています。これがなぜ起こるのか。思考回路が違うからなのか。感覚が違うのか。価値観が違うのか。言語の相違だけなのか。今もってよくわかりませんが、そういうことを指摘する人は少なくないです。

自分が制作担当側で、日本のマーケットに送り出す何かの中身に携わっている場合、選択肢は大きく二つあります。
 ①日本市場に合わせて作り直す
 ②目をつぶって翻訳で済ませる
どっちを選ぶか、すごく大事です。

あまりに卑近な例に寄せて言うので申し訳ないですが、日本IBMの歴史を築き上げてきた方々は絶対に②では承服できないメンタリティの人たちだったと思います。また、セブン-イレブンを一代で築き上げた鈴木氏も同様です。

海の向こうからやってきたものは、そのままでは日本の顧客に出せない。どうする?
ここで「しょうがないから、日本向けに作り直しちゃえ」とやっちゃう、ある種向こう見ずな態度が、たぶんは日本の産業を少し元気にしているのだと思っています。

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