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子孫を遺さない、ということ。少子化問題の情緒的側面。

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この国では、少子化が叫ばれる一方で、既に生まれた生命が、理不尽にも失われている。
ふたたび天災が起きることは明らかであるのに、防災意識はどれほど高まっているだろうか。高齢者たちは身近な若年者たちの未来を案じて、できる範囲での減災対策を講じているだろうか。生命はデータではない。何万分の一ではない。
飲酒して、病気を隠して、ハンドルを握る人々。虐待。殺人事件。
医療制度の壁に阻まれている病気もあるだろう。

生まれた後に失われる生命もあれば、想像されることさえない生命の設計図もある。
経済的不安から、二の足を踏む人。介護や看護のために離職して仕事もままならない人。
機能不全家族で育ち、結婚によいイメージを持たない人。毒親に依存されて自立の叶わない人。上の世代やきょうだいや配偶者の生活支援に人生の時間を使う人。子孫の存在の価値をキャッシュの値でのみ判断するしかない人。
遺伝を懸念する人。恋人や配偶者のハラスメントに八方ふさがりの人。
治療を受けながらタイムリミットと競争している人。

子孫を遺さない選択肢はある。
子供に関心を持てない人もいる。仕事を選択する人もいる。「自分の意志」によるものならば、それは尊重されるべき決断だ。

しかしながら、「自分の意志」に拠らない場合、その「意志」は宙ぶらりんになってしまう。多くの人々の壊れた意志が、そこいら中に漂っている。
そこにあったはずの存在、あるかもしれない存在が、リアルになることのない状況は、受容の困難な問題であろう。
それでも、生活は続いていく。感情はそっと置かなければならない。

子を持つ人がこういったことを書くならば、読み手は傷つくかもしれない。ところがこれを書いている筆者にも子孫がいない。なにしろ親が高齢で結婚しての一人っ子だ。そして自分の人生を謳歌してきたわけでもない。この国の年金受給世代の作り上げた社会システムは、自立と努力よりも、犠牲と苦労を尊ぶ仕組みになっている。少子化問題の一世代早いサンプルのようなものである。ただ、いずれ、科学技術の進歩が、遺伝子を遺すことを可能にするとは思っている。

子はあなたの完全なコピーではない。
子はあなたの仕事を代行できない。
誰もあなたの代わりを生きることはできない。
あなたには、あなたのすべきことがあるはずだ。

我々は先祖の苦闘の歴史の上に、今ここにある。祖先から分岐してきた枝をあなたが手折ったとき、長い苦闘のうめき声に、圧倒されるかもしれない。

だが、さかのぼれば我々の祖先はひとつのノードへと集約されていく。
さらにたどれば、この星の始まりにさかのぼる。

逆に、未来を見れば、この星は永遠に、いまの形をとどめるわけではない。
子孫の住む場は失われ、彼らの一部は他の星に住処をもとめ、祖先の記憶は薄れていく。
永続を保証するものなど、ない。
我々の生きた影は、静謐の中に、漂うしかないのである。

遠い将来、見知らぬ星の、共感能力さえ備えた究極の計算機が、あなたのデータを見つけるかもしれない。
計算機は、あなたの人生を想像するだろう。
そして、受容し、何事もなかったかのように通り過ぎる。

子孫を遺さなかった人、仮に、彼女の名前を「LAETITIA(レティシア)」と呼ぶことにする。
未来の計算機は、彼女の名前を見つけるだろう。
そして受容し、ただ、通り過ぎるのだ。

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