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コミュニケーションにおける共有知識モデルについて、デザインの観点から考えていきます

「分かる」とは、どういうこと?

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◆「分かる」ということの理解

「子ども電話相談室」というラジオ番組の中で、
「電話のお姉さん」が、答えの最後でいう言葉があります。

それは、「XXちゃん、わかったかナー?」という言葉です。
子どもは「ウン、わかったヨ。」と答えます。

しかし、お姉さんは、さらに追求します。
「ちゃんと、お母さんに話せるかナ?」と。

この会話を、いつもわたしはほほえましく聞いていますが、
このお姉さんのふたつの確認作業は、一体、何なのでしょうか。

最初の「わかったかナ?」は、大人言葉で「理解しましたか?」、
後の「お母さんに話せるかナ?」が、今回のテーマである「分かった」、
ということではないかな、と思います。

初対面の人と話をする際、一番困るのは、その相手が、
どの程度の知識や経験を持っているか、分からないということ。

まず手短な話題を話し、質問をしながら、その反応を見て、
お互いが認識できる知識モデルを設定していくようです。
その意味で、本題に入る前の対話はとても重要ですね。

また、本題に入っても、「分かる」ということと、
「理解する」ということの違いを捉えておかないと、
お互いの理解の程度は、あいまいなものとなってしまいます。

「わからないこと」を自分なりに理解した後に、
相手の言葉で説明できるかどうかが、おおきなポイント。
本質的な意味を理解していないと、
相手の側にたって伝えることはできません。

人それぞれに持つ知識とそのレベルは異なるため、
特定の知識を基盤とした説明は、特定の人にだけにしか理解されません。
一方的な知識、論理の上にたった説明しかできない人は、
結局は「分かっていない」ということです。

未知の領域を学ぶとき、
「自分なりに(主観的に)理解した後に、他人に(客観的に)説明する」ことで、
自分の理解度が高まる。

それが「分かる」ことの極意であると思っています。

清兵衛

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