背筋ば伸ばせ!
先週の土曜日、祖父が他界しました。波瀾万丈の95年を生き抜き、大往生でした。祖父は、大正3年にロスで生まれました。曾祖父母がロスで先生をしていた関係で。その後、一旦帰国した後に、満州に赴き通信関係の仕事に就いていました。終戦を経て満州から引き揚げた後は、熊本県の三角町で山を開墾しミカン畑を始め、村では「ミカン先生」とも呼ばれていたそうです。
私が生まれたのは、祖父が48歳のとき。私は昨日47歳になったので、ちょうど同じ年くらいだったということになります。私が、物心ついたころの祖父は、既にとても威厳があって、村の人達に慕われ、それでいて孫には優しい「じいちゃん」でした。当時のじいちゃんと自分を比べるとその大きなギャップに唸ってしまいます。
じいちゃんには、いろんな話を聴かせてもらいましたが、もっとも強く記憶に残っているのは、命からがら満州から引き揚げて来た話です。200名を超える中隊を率いて、引き揚げ船まで向かう間には、死者、行方不明者、ケガ人、病人も出るなか、自らの子も3人連れての行軍は、たぶん私が聞いた以上の過酷なものだったと思います。後日「大地の子」を読んだときには、私の父が陸一心になってもおかしくなかった状況がそこにあったのだと、胸が熱くなりました。
ミカン園の開墾もブルドーザーなど田舎にはない時代ですから、大変だったことと思います。話では聴きましたが、本当にどんなに過酷だったかは想像もつきません。そんな、じいちゃんですから、私が中学、高校のころになると、「男たるもの」という視点で、言うことは厳しくなってきました。特に印象に残っているのは、「背筋ば伸ばせ!」。当時は反抗したりもしましたが、いま思い返すと、いろんな事に通じる言葉で、胸に刺さります。
私も大学を辞めたり、会社を辞めたりしたことから「波瀾万丈」と言われることもありますが、じいちゃんの人生に比べたら、命の危険も感じたことはない平和な世界です。本当に波瀾万丈だったじいちゃんの人生に思いをいたし、単に自分の姿勢だけでなく、あらゆることに「背筋を伸ばして」取り組みたいと心に刻んで、告別式を後にしました。
※本エントリは「笑門来福 Official」のレプリカです。