特別を目指すより標準を目指すべきでは?
Appleが主な納入部品メーカー156社を公表しました。このうち日本からはソニーやシャープ、東芝、パナソニックなど31社が入っているそうです。
iPhoneなどが中国のフォックスコンで組み立てを行っているのは有名ですが、基幹となる高付加価値の部品は今でも日本製がたくさん使われていて嬉しくなります。
とはいえ、完成品ではここのところ日本製の勢いが急速にそがれてきており、統合力という部分での劣勢は明らかになってきています。
Appleは特別です。デザインといい、OSといいプラットフォームデザインといい、プレゼンテーションの手法といい、他とは違う明確な理念や主張が感じられて素敵だと感じます。
しかし、Appleは、というかジョブスはニッチマーケットを目指してApple製品を開発したのかといえば、そうではないでしょう。むしろ、今が間違っている、自分が次の世界標準を目指すんだという強烈な意志で、製品を生み出してきたのではないかと思います。
その理想が製品の形となって消費者に伝わったからこそ、これだけのシェアを取れたのでしょう。
確かにApple製品は独自のプラットフォームで特別な仕様ですが、製品シェアは飛び抜けて大きく、スマートフォンの世界標準です。
Androidをはじめとする他のスマートフォンは、Appleを基準にして作られているといってもいいと思います。
何が言いたいかといえば、日本国内の特に地方や中小企業を回っていて思うのは、標準を目指さない「特別」が多すぎるんじゃないかということです。
こういう場合の「特別」は「特別すばらしい」ではなく、単に「他と違うニッチなんだよ」と言っているだけかなと思うのです。
「ニッチ」を目指すのは悪いことではありませんし、中小の戦略としても正しいのですが、それは他に勝てる分野においてだけです。
生意気な物言いになりますが、例えば情報システム一つにしても、御世辞にもスキル的に高いとは思えない情報システム部がその会社のコアコンピタンスにも成り得ない分野のシステムを「特別」にする必要はないでしょう。
むしろ標準化された汎用品を使ったほうがコスト的にも安定性からも有利なことは明らかです。
もちろん情報システムだけにはとどまりません。組織形態やマネジメントに到るまで、特別にする必要のない特別が溢れています。そのおかげで連携ができずプラットフォームの統合力が出せず、結果として企業力も果ては国力までも大きく落としているような気がします。
「特別だから」というときに、その特別が「これが一番いい次の標準だから」という意味なのか?それとも単に「いろんなねじれをアジャストするために苦し紛れにコストをかける余計な特別」なのか、一度考えてみるといいのかもしれません。
企業としては、ノンコアな部分はアリモノでコストダウンと人件費低減を図り、コアな部分に力を集中して「特別」な付加価値を出すというのもマーケティング的には正しいセオリーですから。