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悩める中小企業経営者に向けて、ITと経営をいっしょに食べてやさしく噛みくだく試み

自由主義は自己責任であるという当たり前のお話

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大学時代、卒業間際にアメリカを1ヶ月程度旅行しました。
貧乏旅の上に、恥ずかしながら英語がダメなので、一人で行く先々は苦労の連続。レンタカーをぶつけられたり、飛行機の予約が入っていなかったり、ヤバい地域に知らない間に入ってしまっていたり、若さにモノを言わせての運任せの旅でしたが、おかげで短い間に日本とアメリカのいろんな違いを目の当たりにすることができました。

グランドキャニオンやアラスカの氷河(これは学生時代ではないですが)に行ったときに感じたのは、危険箇所に日本ほど柵がないこと。
まあ、広さが段違いですからグランドキャニオンに柵なんて付けられるわけもないのでしょうが、だからといって日本のように「立ち入り禁止」にしているわけでもありません。
見た人はご存知だと思いますが、崖の淵まで普通に行けます。

こういう場合、日本だと「危険、立ち入り禁止」と書いてあるのですが、アメリカでは「此処から先はあなたの責任です」と書いてあります。(原文はすっかり忘れました・・・)
どっちも危険を知らせているのですが、日本は「規制・指示」であり、アメリカは「情報提供」なのです。
もっというと、日本の場合は「立ち入ることはできません」と誰かが判断した結果を表示しているのに対して、アメリカは「立ち入るかどうかは自分で決めなさい」と判断を個人に任せます。

なるほどなあ、とその違いに感心しました。

その昔、マスコミからの情報が唯一に近かった頃は、一つの見方で示された情報に対する判断は、おおよそ一つしか無いので、全員が同じ行動をするのは自然だったのですが、ソーシャルも含めて真偽様々な情報が玉石混淆で乱れ飛ぶのが現代です。
判断を受け手に任せるのは、一見投げやりなようにも見えますが、どの情報を収集してどう判断するかの選択肢はもう一つではありません。

原発避難の問題にしても、(補償の問題は別にして)明らかに近くはともかく、その地域から逃げるかとどまるかは最終的には住む人の判断だと思います。
年齢や家族構成や就労先などを考慮すれば、移るのが幸せか留まるのが幸せかは、「自分が納得した」道が正解としか言いようがないと思います。

ただ、判断するためには正しい情報とそれを見分ける力が必要です。そして判断力も必要になります。
食べログの問題にしても、口コミの感想なんですから「正しい」の定義すら本来は曖昧です。

2ちゃんねるは信じないけど、食べログは信じるという人は正しい情報を見分ける力を疑います。
どっちも詐称し放題なのですから、相当にお気楽だと思います。
コメント数やコメント書き込みの間隔、文体、他との比較などでもって、参考にして「自分で判断する」のが普通でしょう。

でも、それがfacebookのコメントで書かれていて、共通の知り合いが沢山いたら信頼度は上がります。友人が認証してくれている人が言ったことですから。

その場合でも、引用元の記事をたどると、怪しい場合が多々あります。
「近所では危険だとされている」とかいう言い回しは、大抵の場合根拠がありません。
「超えている場所がある」と「超えている場所もあると言われている」では、情報の信頼度が全然違います。

確かに、そんな詐称やライティングのレトリックをくぐり抜けてゆくのは大変ではありますが、自由と責任は常に表裏一体です。
職業も住居も言論もライフスタイルも自由に自分で選択して人生を謳歌したいと思えば、「情報の選択と判断は自分で」すべきですね。

「立ち入り禁止」に代表されるように、誰かの判断に従って間違ったら「判断した人を責める」習慣を変えるのはなかなか難しいとは思います。でも責め続ければ「立ち入り禁止」区域はどんどん増えてゆき自由がなくなります。
判断する側があまり進化しないのに対して、情報と選択肢と価値観の多様性が加速度的に膨れ上がってゆく現在において、情報を見極めて自分で判断するという習慣はもっと必要ではないかと思うのです。

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