「パクリ」と「コンプライアンス」は「恥の文化」を知ることから?
随分前ですが、セミナー資料を作っているときに見つけてしまったのです。詳細は避けますが、恩師から聞いた「ほとんどオリジナル」な言葉です。とても気に入っていて、私自身がブログ等でも偶に引用してます。
その文言の語源を知りたくネット検索していたら、ほとんど同じ文字列がヒットしました。いやぁ、なかなかいいことが書いてある。参考にしながら、その他の検索結果を見ていたら・・・自分で書いたものもヒットしてました。
ヤバイ!よく覚えてないけれど、自分で書いたもののはずが・・・「パクリ」しちゃったのか?と、一瞬焦ってしまいました。
ブログの日付で確認したら、自分で書いたより「半年」も後に書かれたものでした。ってことは、私は「パクリ」してなくて、相手が「パクリ」したものだったのです。
そりゃ、自分で気に入っている言葉なので、検索してヒットした「そのページ」に書いてあったことは、「なかなかいいこと」に決まってます(笑) だって自分で書いたものが、そのままコピペされていたのですから。。。
せめて引用元くらいは、書いて欲しかったです。リンクとか。コンプライアンスに関する記述だったのですが、その人はコンプライアンスをどのように考えているのだろうか?と、残念でした。
先日も、資料作成で調べ物をしている時に、また別な似たようなものを発見してしまいました。まぁ「パクリ」そのものも「よろしくない」のですが、その中身の薄さに呆れてしまいました。書きたければ書けばいいですが、一応のルールというか。。。表層的な部分しか見えてないのが、読めばわかるんですよ。これ自分で書いたものは「それがわかりにくい」のですが、他人の書いたものは、よくわかる! 不思議なものです。
コンプライアンスってどのように理解してますか? 法令遵守とかバカなことを言わないで下さいね。守るの当たり前ですから・・・
人に迷惑をかけないとか、恥ずかしいと思うことをしない・・・と、私は理解しています。
これって「恥の文化」に共通しているように思うのですよ。
法令遵守とか訳のわからないことじゃなくて、恥ずかしいとおもう気持ち、「恥」そのものだと思うんですよね。恥ずかしいことであると感じなければ、本人は「恥」と思ってないかもしれないけれど、、、そんなちょっとした違いが、パクリの根っこにあるように思うんです。
そんなこと言われても、別に恥ずかしいと思ってないし・・・となるのかもしれません。
仏教で言う利他とはちょっと違いますが、自分よりも前に相手がいること、相手を心使う気持ちに似ているような気がします。
何だか、このあたりのちょっとした違いが、パクリは恥ずかしいことだよ。と言われているような感じがします。改めて気をつけていきたいと思いました。