おじさんは若者に付き合ってもらいたいのだ、への反論
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タイトルは、どうやらオルタナトークのテーマらしい。しかし、正直、気にいっていません。なぜか?
どうして「若者はおじさんに付き合ってもらいたいのだ」ではないのか、あるいは、「人は興味を持った相手に付き合ってもらいたいものだ」ではないのか、納得がいかないからです。若者だろうがおじさんだろうが、面白い人は面白い。面白いから付き合うんじゃないのか。おじさんが若者にこびる必要はない。というのが、最も正直で、とっても了見の狭い私というサンジオ(=イタリア風の「おじさん」の言い方。アクセントは、主に「サ」)の見方です。
面白くもないのに私は若者に付き合いませんし、同じようにおじさんにもつきあいません。逆だってそうだと思います。お互いに興味があるから「ちょっと話を聞いてみよう」「ちょっと買い物に付き合ってみよう」「ちょっと飲みに行ってみよう」となるんでしょう。興味がそもそもないのにこうしたことに時間を割いているのは、時間がもったいないと思います。コミュニケーションには目的があります。目的のないコミュニケーションには、あまり興味が持てないのです。
ただ一つ、自らフォローを入れるとすると、私の興味の範囲は自分でいうのもなんですがかなり幅広いのです。ですから、多くの機会に顔をのぞかせますし、ちょっと興味を持った若者を誘ったりもします。必ず大なり小なりなんらかの目的は持っているといっていいでしょう。しかし、それで人との関係が堅苦しくなるというようなことはありません。少なくとも私は気がつきません。そりゃなんたってもう、AKY(あえて空気を読まない)ですから。
*個人的意見です。
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