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夏目房之介の「で?」

大澤真幸『社会学史』講談社現代新書

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大澤真幸『社会学史』講談社現代新書 

いやはや、ものすごーく勉強になった本です。欧米思想史を「社会学」という領域から再構成していて、おおそうだったのか、そういう理屈だったのか、ここがポイントでこれがその限界なんだ、へぇぇ~~~、という目ウロコ体験が数頁ごとに起こるような、むちゃくちゃありがたい本でした。もともと講義を起こした文章なので、すごくわかりやすい。失礼ながら「何だ、やればできるんじゃん!」と突っ込みたくなる。とはいえ、議論の詳細を省略はしても(ちゃんと、その都度「ここは省略する」と明示されてるのもすごい)、議論の要点のレベルを落としてはいないので、難しいところはあたしなぞには付いていけない。とりわけルーマンやフーコーなどの後半部になると、とくに。うちのゼミ生などには必読書と思ったが、もう来年は必要ないのだった。

社会システム論的な相対主義、関係構築論は、原理的にシステム(あるいは権力の構造)に抵抗する主体そのものを解体してしまうので、抵抗を基礎づけることができない。ただ認識して佇んでいることになる、というのは、何となく感じていたことで「そうか、やっぱりそうなるか」と思ったのですが、同時に「そうはいってもなあ」という納得できない感が残ります。フーコーの権力論も、そこんとこあんまり基礎づけられてないよなあ、と概説でしか知らないまま思っていたので(何しろあの手の文体は何度挑戦しても理解できないので)、頷きながらも首は傾げるような印象。でも、結局そこんところが現在の思想的な限界らしいというところまでは、よくわかった。

ど素人で、原典にはまったく触れてもいない人間ながら、何とか議論の道筋を一通り辿れたので、大変にありがたい概説書です。その上でど素人なりの感想をいわせていただけるならば、著者のむちゃくちゃ鋭利でクリアな整理解説そのものが、著者のいうところの「超越論的」な批判の修練で行われているように見えます。そこで、現在の限界を乗り越えるために示唆される予感というか予言的な比喩が、じつは「超越論的」な枠組みが基本的にユダヤ教的な知性なので、キリスト教の受肉をもって乗り越えができないか、という話になっています。そこんところは大澤先生に申し訳ないけれども、どうなのそれ、と感じざるをえませんでした。まあ、この本で記述された限りでの素朴な印象ではありますが、そもそも乗り越えの議論を「超越論的」にやろうとしているようにしか見えないからです。

じゃあ、他にあるのかといわれれば、そんな教養も知見もあるわけがない。ただ、たとえば本書でもトートロジーが基本的に偽や悪として何度も登場します。西洋哲学の論理的な帰結としてそうなのだとしても、僕らの日常的な言語使用の世界では、案外にトートロジーに近い言述が「真理」「真実」を指し示すことがある気がします。というより、それによってしか指し示せない「真理」「真実」や「事実」があるんじゃないかと。「般若心経」の「色即是空空即是色」じゃないけれども、そんな感じがあったりします。そんなことまで考えさせられた本でした。おすすめです。

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000210935

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