坪井みどり『絵因果経の研究』 美の光景② シリーズ監修 江上綏 山川出版社 2004
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坪井みどり『絵因果経の研究』 美の光景② シリーズ監修 江上綏 山川出版社 2004
美術館でたまたま見て購入。もともと日本の絵巻物も、絵巻というメディア形式からして中国渡来であり、その初期形態や移行過程に興味があった。まさにそのあたりが書かれていそうなので、歯ごたえのある学術書で全部はとても理解できないながら、要点の推測はできた。「絵因果経」は著者の仮説では玄奘三蔵の帰朝(645年 日本では大化の改新!)直後に太宗の意志で制作され、初唐から盛唐初期に渡来し、書写された。時期は「白雉五年(六五四)帰朝の第二次遣唐使船によってもたらされた「文書・宝物」の中に絵因果経の副本ないし模本が含まれていた可能性が大きいと考える」(p.129)とされる。中国に原本は残っていないが、著者は当時の中国の様々な画風(敦煌窟の絵など)、書体などから類似点を推測し、たとえば自然景の三角形表現はササン朝ペルシャからの影響と論ずる。その後、ある種の禁令が解けたのち、「光明皇后の活動期と時を同じくして、絵因果経が日本の美術の流れにインパクトを与える舞台が整ったのではあるまいか」(p.130)という。8世紀半ばである。
「絵因果経」は一見きわめて素朴な絵の釈迦伝絵巻だが、人物をよく見ると、相当な技術で描き上げられ、じつは立体感のための陰影も描かれているようなのだ。著者によると「顔の周辺や首の顔に接するあたりなどには立体感を出すために時にうっすらと青の色料をかけ」(p.139)ているという(口絵17jの部分図参照)。何と、今のマンガなどでも使う、顎下の陰影のように見える。しかも、この顔の完成度は高く、明らかに立体的な顔の描き方である。どことなく福山庸治的の描く顔を連想した。
これがやがて12世紀の驚異的な絵巻物の物語表現へと日本で展開したのだとすると、まことに興味深い。図版は、著書の表紙と、口絵1=奈良国立博物館蔵の「絵因果経」(上品蓮台寺本断簡)、口絵17=「絵因果経」同上一部拡大。
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