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夏目房之介の「で?」

荒木伸吾の「劇画」

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先日、ゼミ終了後に学生たちと秋葉原で「荒木伸吾回顧展「瞳と魂」」を観てきた。なかなか興味深いものだったが、むろん僕はアニメーターとしての彼の名を、どこかで見ている、という程度に知るだけで、深く知っているわけではない。ただ、展示されている原画や絵を見るかぎり、「目力の画家なんだろうな」と思った。
https://app.blogs.itmedia.co.jp/t/app/weblog/post?blog_id=25059

荒木は、1939年生まれ。敗戦時に6歳。手塚『ジャングル大帝』に刺激され、58年、17歳で貸本劇画誌「街」でデビュー。その後、真崎守に誘われて68年に虫プロに入りアニメーターになるまで、貸本作家だった(真崎も出崎統もそうだったはずで、当時の虫プロアニメの流れを知る重要なポイントだ)。展示には貸本マンガ作品の一部があって、僕にはそれが非常に興味深かった。60年に描かれた作品は、すでに永島慎二的で、やはり目にこだわっているのか、のちの岡田史子のような白い空白の目を描いていた。永島と同時期だろうか。それとも荒木のほうが早いのか。
この展示、聞くところによると、権利などの問題で、今回のみの展示会で、図録なども会期中のみの販売らしい。いや、行っておいてよかった。

その図版と一緒に売っていたのが、荒木が死ぬ直前まで描いていたという作品『SOURIRE D'ENFANCE』という、横長の本であった。見てみると、最後に貸本時代の作品『何も言わなかった少女』が掲載されている。図録によると「「街」45号掲載の60年頃の作品らしい。これが目当てで、こちらも購入した。全編、同形の横長画面で描かれた、絵を描く少年と、言葉を話せない少女をめぐる悲劇である。絵は永島慎二系。
が、本編も、一見殴り描きのような荒っぽい画面ながら、読んでいくと異様な迫力と速度感で、なんとも不思議な話の世界に迷い込む。一部は自分の体験を反映しただろう、劇画誌に作品を投稿する少年のお話だが、その少年がみる夢のほうが、じつは主体になっていて、途中で終わってしまっているが、引き込む力の強さに驚く。色彩も線も、何というか、自由闊達に荒々しく、そして目の表現に独特な虹彩の輝きがある。そして、基本的に前向きで、明るい。
http://www.arakishingo.com/pc/pieces/

本編の話は、少年が夢の中で描いたマンガの絵をめぐり、どこからともしれぬ敵や、それと闘っているらしい少女たちがあらわれ、争奪戦を繰り広げる(浦沢直樹?)。夢の中で少年は、敵とおぼしき男に薬を飲まされ、分裂し、一方はヒゲぼうぼうの青年と化し、自分の描いたマンガの「何か」を忘れてしまう。しかし、少女たちはその絵にこそ、敵と戦う「何か」を見出していて、「何か」は不明のまま、不思議な争奪戦と、同時に家で投稿作品を描く少年が描かれてゆく。
あきらかに、荒木の少年時代を回顧的に設定に使い、少年としての自己に仮託した「表現することと、失われる何か」について語ろうとしているように読める。つまり、これは表現についてのある種自伝的な童話といえるかもしれない。少なくとも、マンガを描くこと=当時の少年が表現の喜びに出会えることの強烈な「何か」は伝わってくる。

貸本作品は、本編のモティーフとなったらしいものだ。戦争で孤児になった少年が、ある父親と少女にひろわれて、絵の道具を与えられ、ひたすら絵を描く。事故で少女が死に、少女の絵を自分の絵描きとしての命のように守ってきた少年は青年となり、父親から絵を奪われそうになる。最後は、父親に絵を返そうと決意するのだが、ここでも「表現することと、失われること」が、素朴だが強い主題になっている。戦後、貸本劇画で表現を見出していった青年たちの息吹が感じられるようだ。その一部は、アニメへと場を移して花開いていったのかもしれない。
何かを表現したり、夢中になってゆくことには、当初当たり前のように大切な「何か」が存在している。あまりに当たり前で気づかない(無意識化されている)が、それが奪われてしまったり、なくなってしまうと、それが何であったかはっきりとは自覚できないものの、切実に「何か」が失われたことを知る。そういっているようだ。
失うことは、多分人生ではいつも起こることだし、年齢を重ねればそれは何度も何度も経験する。でも、そのたびに、それがとても大切な、いとおしいものだったことを、心を焼かれるような思いで知る。僕も、昨年から今年にかけて何度も「大切なもの」を失った。失ってあらためて、そのイメージを追う。でも、人は前に進まなければならない。仕事もしなければならない。心をまぎらわせながら、ふとしたときに胸が苦しくなることもある。そんなことを思わせてくれる本だった。

荒木伸吾は、2011年に他界する直前の2010年頃から本編を描き始めたようだ。とすると70歳になってから、あらためて少年時代に感じた「何か」に立ち向かったことになる。彼は、人生の最後に、失われたものにもう一度出会おうとしたのだろうか。それは、彼が貸本時代の「劇画」でも見出そうとしたものだったのだろうか。不思議な感動がある。

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