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夏目房之介の「で?」

NHK「ハーバード白熱教室」

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http://www.nhk.or.jp/harvard/about.html

昨日、どういう加減かNHK教育のマイケル・サンデル教授による「ハーバード白熱教室」の一回分が録画されていたので、なんとなく見てみた。いやあ、勉強になりました。すばらしい。
三階席まである講堂で、マイクもなしに話していたが、あれは声が聞こえるんだろうか。僕も数百人入る教室でマイクなしで話すが、それは自分が聞いた経験で、どんな面白い講義でもマイクで教室に音が回ると眠くなるからで、かえって地声のほうが集中するからだが、ちょっと広すぎる気がする。

マイケル教授は、一言一言、区切るように、念を押すように話していた。これは説得力がある。僕自身も、以前「耳の聞こえない学生が一人いるので、前を向いてわかりやすく話してください」といわれ、同じような話し方に自然となったことがある。すると、学生の集中力が上がり、自分でも説得力があると思えた。短い文節で区切るために、曖昧な助詞などで言葉がつながらず、いきおい断定調が多くなる。そのためには、いつもより自信をもって語るほかなく、逆にいうと、話す内容を事前にきちんと最後まで詰めておく必要がある。僕の講義は、基本アドリブで、場当たりの面白さを重視しているので、いつもの講義ではなかなかそうはいかないのだ。でも、本当はこうすべきなのかもしれないな、と思った。

講義の内容は、テキサスのロー・スクールを受験した成績のいい女性が、自分より成績の悪い人が受かっていることを不当として裁判を起こし、最高裁まで争った事件を例に出し、学生たちに議論させながら、論点を整理してゆくものだった。大学側は、マイノリティの学生など、学生に多様性をもたせる必要があり、成績だけが基準ではない、と主張したらしい。論点は、これが個人の権利を侵害したものなのかどうか、多様性の保持は恣意的な対処ではないのか、といった議論に進み、やがて古代ギリシャ哲学が引用されて目的論的な思考についての講義へと進む。そこには、圧倒的な学問的蓄積と教養をバックにした論点の明晰な整理と、おそらく教授自身の哲学もあるのだと思う。しかし、何よりも、それらを学生たちには事前の抑圧にせず、議論を議論として成り立たせるスキルの見事さ、それを引き出す間口の広さに感心した。これらの議論は、どこまでいっても明確な正解のない問題であり、そのこと自体を自覚させることに主眼があるように思えた。この講義の核心はそこにあるように感じた。

そして、やはり幼い頃からディベートの訓練をされている学生たちは、積極的に手を上げ、非常に明確に自分の意見を発表する。だから成り立つ講義だといえばそれまでだが、日本でもこうした訓練は必要だと思う。議論を成り立たせるための論理性、抽象性と具体的な物事の次元の違いなど、基本的な区別をどう教えていいのか、日々迷っているので、余計そう感じる。文系の領域で日本の学問が世界に出ていこうとすれば、当然これらの問題にも突き当たるだろう。マンガにはその可能性がとてもあるのだけれど、自分も含めて、なかなか障壁は大きい。ともあれ、学生諸君に自分で考えてもらい、意見をやりとしてもらって議論を運ぶ講義は、僕もやりたいと思っていることなので、僕なりに工夫していきたい。

などなど、色々と考えさせられた、いい講義であった。

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