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夏目房之介の「で?」

バリ日記(3)

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3月21日
夕べは11時半に寝て、朝は6時15分起き。そのあと走圏と朝食。う~む、信じがたいほど健康だ。何で東京だと、そうならんのだろう?  当たり前か。
マニックと色んな話をする。
ニュピの話が面白かった。十数年前には、今のように厳しくなくて、せいぜい車に乗っちゃいけないという程度だった。だんだん、厳しくなって、今では外を歩いているのを見つかると1万ルピーの罰金なのだという(日本円だと百円ですけど)。そこで、誰でも思う疑問を僕も口にした。
「誰が、その違反者を見つけるの?」
マニックは、村の副村長格なのだそうだが、そういうリーダーたちが、日に何度か村を見回るんだそうである。当然、彼らはニュピを厳格に守ることなのできないわけだ。
「ホントは、私も家で静かにしていたいんだけどね、自分を反省して・・・・」
このマニック、時間を守るどころか、約束時間より前にスタンバッってたりして、こんなにマジメなバリ人見たことないくらいマジメなのだ。
また、京子さんが、よくいわれる「悪霊たちが島の上空を見て回るので、真っ暗で何もしていなければ人がいないと思って去る」というニュピの「理由」について聞いたとき、マニックは笑って全然違うといっていた。もっとも、バリがいかに小さい島とはいえ、村によって、共同体によって、階層によって、伝承もそれぞれで、マニックのいうことが全島的なホントであるわけでない。バリ人は基本的に自分の共同体のことをバリ全体のことのように語るが、他の村地域について詳しいわけではない。一人のバリ人が否定したからといって厳格性や伝承がそのままウソということにはならないのだ。限られた情報で判断できないということである。でも、昔は厳しくなかったというのは、おそらく本当で、急激な観光化によって共同体の存在がおびやかされ、それに対する防御意識がかえって規律の厳格化を促したのかもしれない。
いずれにせよ、マニックによれば、観光客はホテルの外に出なければ、食事もできるし、夜は何かをさがすときは電灯を点けてもいい、ということだった。そんなわけで、お向かいのオランダ人・タイ人カップルは、夜中中探し物をしていた(笑)。

ウブドのモンキーフォレスト通りを散歩していると、道の向かいから呼び声が。
何と、20年くらい前から何年間もお世話になった旧知のドライバーのマニスだった。懐かしいなー。ちょうどお昼を食べようと思っていたので、これも懐かしいカフェ・ワヤンで一緒に食事をする。

Photo_4  右がマニス。だいぶ髪が後退したなー。

夕方、お隣の高級宿(最低一泊1万以上)ワカ・ディ・ウマのテラスでお茶。

Photo_5 絶景かなー。

夜、やまだ紫『御伽草子』を読みながら寝る。12時過ぎ就寝。

3月22日
これ以後、毎日、まず走圏、朝食、午前中は書や絵を描き、昼寝をし、プールに入り、午後、自転車に乗ってウブドをジャランジャラン(散歩)し、買い物をしたり、お茶したり、夕方、ものすごおおおおーい坂をひ~ひ~いいながらエンエン上って帰ってくる。

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