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夏目房之介の「で?」

いがらしみきお『かむろば村へ』4

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『かむろば村へ』が4巻で完結した。
僕の何となく予想したのとは違う方向に行って、それゆえ面白かった。
いがらしみきおは、やっぱりすごい、と思った。

ちょっとわかりにくい話だなと思いつつファンだったのだが、最終巻になって、ようやくそのわけがわかった。予想される物語の推移は、たいてい何事かが「うまくゆく」か、「うまくいかないか」のどちらかの経緯なのだが、この物語は、そのどちらでもないあわいの道を意図的に歩いたものだったのだ。

僕がもっとも興味を持っていた、ただの老人で何もしない村の「神様」が、最終巻で死ぬ。神様だから〈今日がオレの 死ぐ日だ〉と、わかっていながら死ぬ。
彼は、その前後に、金を使うのがいやで村にきた、失敗ばかりの迷惑な若者が、行き当たりばったりな経緯で村長に立候補するのを見て、こういう。

〈なぬやっても うまぐ行がねのぬ、 なぬがやんのを 絶対やめね。〉
〈そりゃあ 人間つうのが おもろいがらだべ。〉
そして、ただの老人のように崖から落ちて死ぬのだ。

〈神様はなぬもすねえのさ、 死ぐ日が来たら 死ぐさ。〉
〈人間だったら そうは行がねべな、なぬがすんだべな。〉

いがらしは、あとがきで書いている。
昔なら、金を捨て、モノを捨てる人間を清いとか聖人だとかいったが、今はただ迷惑でうざったいだけだ。でも、もしそんな奴がいたら、というのが作品の動機だったと。そもそも今の世の90%を金とモノによる苦労が成しているとすれば、彼には残り10%の苦労だけがふりかかるだろうと。
残り10%の苦労とは何か。生きがい、老い、死、愛、お金じゃどうしようもない問題。そう、まるで大昔に覚者がいったような、大昔から人間が抱えてきた問題になってしまう。
人間はそのことを、ずーーっと考えてきた。

〈ずーっと考えたけど、なんともしようがなかった問題です。むしろ、「なんともしようがないだろう」という答えが出たような気さえします。
 つまり、この「かむろば村へ」という作品では、人間の問題がなにも解決していないのです。せめてオカネがあれば、と思うのみです。〉

大昔、ある思想家が「人間は人間の解決できる問題しか持っていない」といったような気がする。彼はオカネの問題を解決しようと格闘したらしい。でも、今はこういうふうに「なんともしようがない」と、小さな村ですら、思うほかない時代なんですかね。そういっちゃうと、すごくつまらない話になって、作品を小さくしてしまう気がするけど。

でも読後の、この感動は何なんでしょうね。
物語は、あいかわらず何も解決せず、同じように世界が続くことを暗示して終わります。
そこで何かが読者に残って終わる。いがらし本人も、この物語の一読者にすぎないような気がする不思議なマンガでした。

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