つまらなくても、行き当たりばったりで始めればいいんだよ
「一生懸命考えているんだけど、アイデアが出ない...」
企画やレポート、プレゼン資料......ハッキリ言って大変なんです。
「アイデアが浮かばない?考えが足りないんだよ」と思った方に聞きたいです。
アイデアって考えが足りれば浮かぶものなのでしょうか?
ずっと考えて、資料を探し回り、人に聞きまくっていても進まず、期限だけが迫ってくる焦り。ついに瞑想し天の啓示を待つのですが、何も降りてこない...。
観念して、大ざっぱに構成を考えて始めてみると、いつも大問題が発生します。
"つまらない"のです。
「才能がないんだから仕方ない」と言い聞かせて、とにかく書き始める。すると、やっぱり最初の構成がおかしい。つまらないわけです。気がつくと、構成とは違ったものになり果てています。こんな簡単に信念を曲げていいのだろうか?でも最初の構想よりはそう悪くないデキかも?でも中途半端でつまらない。いつも釈然としないものを抱えていました。
これってなぜなのでしょうか?
どうも書いている最中に「リフレクション(省察)」が行われているようなのです。
リフレクションの意味は「振り返り」。振り返りだから「書いた後にするものでは?」と思いがちですよね?実はコレ、ちがうようです。
「省察的実践」を提唱する哲学者のドナルド・ショーンは「知の形成は行為の中で何度も振り返ることで、実践が改められ、発展していく」と言います。
かみくだいて言うと、行為している「最中」が大事ということです。
ショーンは、実際に建築家とその弟子が難しい土地の設計図を書いている事例を紹介しています。建築家は、弟子の作ってきた設計図を見て、その場で思いつくに任せて新しいアイデアを入れていきます。建築家は行為をしている「中」でリフレクションを行っていて、しかも行為の「中」で繰り返しリフレクションをすることで、設計図は最初の構想とはまったく違ったものに仕上がっていました。
私はハタと膝を打ちました。
「そうか。行き当たりばったりで変えてもいいんだ」。
リフレクションには「曲げる」という意味もあります。行き当たりばったりでやっているうちに、最初の構想は曲がってしまってもよいのです。
「なんかつまらない」と思ってたのは、この行き当たりばったりが中途半端だったから。気にせずどんどん変えれば、良くなっていたはずです。
何も始めずにいるよりも、なんとなく方向がきまったらとりあえず始めてみて、その中で振り返りながらどんどん「曲げて」いけば良い結果につながるのです。
【参考文献】
D.A.ショーン『省察的実践とは何か―プロフェッショナルの行為と思考』柳沢昌一,三輪建二訳,鳳書房(2007年)