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ライフワークとしての学びを考えます。

真似の罠

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「学ぶ」と「まねぶ」は、同じ起源を持っています。

学びとは、模範となる人を見つけて真似ることから開始するということです。

演奏家を目指す音大生は、先生の真似をしたがります。芸術の世界なのだから創造性豊かで自由なのでは?と思っている方も多いかと思います。しかし実際は真似から始めるのです。だから、あるピアノ科教授の門下生は全員似たような弾き方になっていました。

しかし、真似には怖い罠が仕掛けられています。

それは"猿真似"。

先人は、長い年月の試行錯誤と葛藤を経て、自分に合ったスタイルを確立しています。
それを、資質や生き方、体格も違う人が単に猿真似をしても、大きな隔たりがあるのは当然のこと。
本来の真似をして学ぶことは、スタイルだけではなく、先人の背後にある思想全体にまで踏み込んで身体と心でつかむことではないでしょうか。
それを理解せず、模倣しているだけの人は猿真似の罠にはまり、大成することはないのです。

では、猿真似の罠にはまらずに大成するにはどうすれば良いのでしょうか。

世界的なバイオリニスト、五嶋みどりの母親である五嶋節氏は次のように言っています。

大事なことは『サル真似』を通して、自分で疑問を持つこと、『サル真似』の結果、自分で考えるようになることだと思います。 (中略)。練習を繰り返してやることも大切ではあるのですが、なぜここはどうしてうまく弾けないのか、こうしたほうがいいのか、ああしたほうがいいのか、どうしたらいいのかと、自分で疑問を持ち、考え、試行錯誤して練習し、わからないときは先生に質問するべきです。(五嶋節『「天才」の育て方』より)

師匠の思いを受け継ぎながら、知識を鵜呑みにせずに、問題意識を持ちながら改善していくことが重要なのです。

また、大本山永平寺の七十八代目貫首、宮崎奕保禅師が、真似について以下のように言っています。

仏の真似を一日真似れば一日の仏、三日真似れば三日の仏。一生真似ればそれは本物だ。

真似は簡単ですが、真似を継続するのは難しいのです。真似をするなら適当に真似せず覚悟して真似をしなさいということです。

美味しいところだけ真似るその場しのぎの真似は、学ぶことにはならないただの「猿真似」。

物事を極める本物の学びとは、葛藤を伴う試行錯誤のプロセスから為されるものなのです。

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