小学1年の同級生・ちあきちゃんが教えてくれた「ノウイング」
なぜか私は口厳しい女友だちが多いのです。
小学校1年生のときの友人、ちあきちゃんもそういう人でした。
私は、逆上がりもできないし自転車にものれない、かなり鈍くさい子どもでした。
ちあきちゃんはすぐにマスターして、「まったくのろまなんだから。自転車くらい乗れなきゃだめ」と私に自転車の特訓をしてくれました。
ちあきちゃんは自転車の後ろを押しながら
「バカ、こぎ方が遅い」
「アホ、ハンドルをまっすぐ」
などと厳しく言うので、私はいつも半べそ。時には自転車がひっくりかえり膝をすりむいていました。
あるとき「なんだかスピードがでるなぁ」と思いました。
後ろを振り向くと、なんとちあきちゃん、遠くでニコニコして手を振っています。
私はいつの間にか自転車に乗れるようになっていたのです。
でも離す前にひとこと言ってほしかった...。
言葉にはならないけれども、「ああ、これですよね!あなたはこれが言いたかったんですよね!」という不思議な体験。今でも鮮やかに思い出せます。
教えてもらっていることをひたすら実践して悩み、あるところで自分自身が新しくつかむ感覚。
いわば知の「再創造」ですね。
これが「ノウイング」(knowing)と言われるものです。
北海道大学大学院 経済学研究科教授・松尾睦氏はノウイングを以下のように説明しています。
私たちは結局、膝小僧をすりむきながら自分で自転車の乗り方を習得したのではなかったでしょうか。(中略)内省し、教訓を引き出すことが「ノウイング」にあたります。ノウイングをしていない人は、単に他者の知識を鵜呑みにしているだけで、「内省」や「教訓を引き出す」ステップをスキップしてしまっている人、つまり自分の頭で考えていない人です。
これって自転車に乗ることだけではなく、仕事でもあるのではないでしょうか。
ネジを最後の一締めで、微妙に締めすぎても締めなさすぎてもダメな領域をつかんだとき。
お客さんとの間の、近すぎず、遠すぎずの距離感のあんばいを掴んだとき。
ノウイングとは、何度も教えられて分からず、悩んだ末、しばらくたってから何かの拍子にその意味がわかるものです。
今分からなくても、出来なくても、1分後に分かるかもしれませんし、明日分かるものかもしれません。もしかしたら1ヶ月後かもしれません。
ですから諦めてはいけません。淡々と学び続けているとある瞬間に会得できるものなのです。
いま考えると、私が自転車に乗れるまでつきあってくれたちあきちゃんは、口厳しかったけてど結構良い先生だったようです。
当時、まだ小学1年生。おそるべしです。今は何をやっているのでしょうか?
【参考文献】
松尾陸『職場が生きる 人が育つ「経験学習」入門』ダイヤモンド社(2011年)