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ライフワークとしての学びを考えます。

いつかはファーストクラスという欲望はキリがない

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飛行機ファーストクラス(小).jpg

「将来が見えない」という閉塞感。
「もっともっと」という渇望感。
「何かが足りない」という欠乏感。

頑張っているし、結果も出している。しかし際限なくわき上がってくるこんな思い。
なぜいつまでたっても「満足」せず心の平安が訪れないのでしょうか。

「満足」とは、希望が満ち足りて不平がなくなるという意味です。
つまり、希望が満ち足りないから常に閉塞感、渇望感、欠乏感に悩まされるというわけです。

「足るを知る」ということばがあります。
これは下記の老子の人生観から来ていることばです。

足るを知れば即ち辱められずと言ふ。金を貯めるのは宜いけれども、飽くまでも之を貯めんとして足りたりとすることが出来ない時には必ず人により辱めを受けることがある。是れで己は十分であると言つて足ることを知るやうになれば恥を蒙ることは無くなるのである。

自分の身をわきまえて、分相応のところで満足するという、欲望を自分の意志でコントロールすることが長期的な幸福感を生むということです。

本当は高級フランス料理と高級ワインでインスタにあげたいと思っていても、「今日は質素だけどお腹いっぱいごはんが食べられた。健康にもいい。それで十分じゃないか」と、分相応の着地点を見つけるわけです。
でもよく考えると、「本当は」というところが大事で、高級なものを食べたいと思っている欲望は捨てきれてないのです。他人が高級フレンチレストランの食事をインスタにあげている様子を見れば、すぐ不満に悩まされることになります。

たとえば飛行機でエコノミークラスに乗るとき。ビジネスクラスの横を通ります。「いつかはビジネス」という欲望が知らないうちに刺激されているのです。ビジネスクラスが使えるようになっても、今度は「いつかはファーストクラス」と妄想するようなります。しかし、ファーストクラスに乗っている人たちの頭の中は「でも、あの経営者のようにプライベートジェットを持っていないじゃないか」という渇望感を持つように刺激される。ついにプライベートジェットで世界を飛び回るようになっても、トランプ氏のような人は「まだエアフォースワンに乗ってないじゃないか」と考える。

みんなが「足るを知る」ことができれば、現代社会が抱えている問題の多くは解決しそうです。

一つのヒントが、孔子の「論語」にあります。

子曰く、吾十有五にして學に志す。 三十にして立つ。 四十にして惑わず。 五十にして天命を知る。 六十にして耳順う。 七十にして心の欲する所に從えども、矩(のり)を踰(こ)えず

孔子は、人はきちんと段階を踏んでいけば、70歳になるとやりたいようにやっていても社会の規範を超えなくなると言っています。

欲望が止まらなくなるから苦しいのです。でも、今やりたいことが存分にできていると感じられるようになれば、渇望感や欠乏感はわき起こってこなくなるわけです。

お蕎麦屋さんで、周囲の視線を気にせず、流れるような動きで粋に蕎麦をすすってサッと立ち去った大人に目が釘付けになってしまったことがあります。なぜなら、蕎麦を素敵に食べることはなかなか難しいからです。理屈なく「大人ってこういう人のことかもしれない」と妙に納得したことがあります。

欠乏感、渇望感に苛まれることがなくなり、自らの成長を喜びをもって自己確認できる状態であることが容易にイメージできる大人にいつかなってみたいものです。
 
 
【参考文献】
・趙 軍『西洋背景下の遠藤隆吉の老子研究 ──西洋経験と近代日中交流における思想連鎖の一側面──』千葉商大紀要 第57巻 第2号(2019年11月)
・貝塚茂樹『論語』講談社現代新書(1964年)

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