「大人の事情」で逃げる弱者から卒業するために
「近藤、生きてくって...大変だな」
ドラマ「半沢直樹」で、東京中央銀行の同期・近藤に半沢がかける言葉です。
不本意にも出向させられていた近藤は、自分が銀行に戻るために半沢のライバル・大和田常務と裏取引をして、半沢を裏切りました。
「半沢直樹」には、このように弱者が強者に対して怨恨の念を持ちながらも強者の前で自分を偽り、自分を正当化しながら生きている人たちがたくさん登場します。
たとえば、社長のいないところでは社長の悪口を言っているにも関わらず、いざ社長の前に立つと謙遜することをわきまえている。そしてこの振る舞いこそ「大人の生き方」「大人の事情」と自分を正当化する。
納得いかないことを問うと、「いろいろあるんだよ」と言って「以上、おしまい」にする大人がいますが、これも「大人の事情」です。
このような人たちを、哲学者のニーチェは「ルサンチマン」と言います。
ルサンチマンは、隠れた世界が自分の安全な居場所で、でも外の「表の世界」では意見を言わず、自分から積極的に行動するわけでもなく、ひとまず自分を卑下し、謙遜することをわきまえています。
またルサンチマンは嫌なことでも進んで受け入れることを美徳としていて、「弱者こそ最善である」という道徳観を持っています。これは自分が弱者であることの辛い現実から目を背け、認めたくないがゆえの架空の価値観です。
ニーチェは、新約聖書『マタイによる福音書』第5章に登場する言葉「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」は、ルサンチマンが作り出した価値観であると言い切っています。
半沢の言うように「生きていくことは大変」です。
「ノルマはきついし、同僚とする話は、いつも金や人事のことばかりだ。転勤はつきもので、そのたびに家族にはつらい思いをさせる。1つでも汚点を作ればすぐに出向だ」と半沢は嘆きます。
特に今の世の中は、弱者がルサンチマンとして生きていくほうが楽な世の中なのです。
しかしニーチェは、「神は死んだ。ルサンチマンの価値観は幻想。いつかは崩れる。失望する必要はない。進んで攻める勇気を持て。」と言います。
これがニーチェの「超人」です。
つまり神様に頼って弱者の美徳を信じて生きていてもそれは架空の価値観。勇気を持って打ち破れば、超人になれるのです。
半沢直樹は、どんなにピンチになっても自分の正しいと思ったことを貫いています。これこそ超人のあるべき姿。だからこそ多くの人に支持されたのではないでしょうか。
しかしすべての人が超人になるのは難しいと思います。
一方で、私は、ルサンチマンも本当は「強くなりたい」「成長したい」と思っていると考えます。
辛い現実を認めたくないからこそ考えだした奴隷のようなルサンチマンの道徳観。
本当に絶望していたら、「認めたくない」などと思わないはずです。
弱者が1人で出来なければ、仲間と頑張ってみるのも良いのではないでしょうか。1人で頑張っているだけでは弱い人は孤独に負けてしまいます。たとえば、会社を良い方向に変革したい。でも反対勢力もいる。そんなとき、最初は2人でも3人でも良いと思います。まずは同じ志を持つ仲間と頑張ってみる。志にひかれて人が集まってくるかもしれません。
「成長したい」という思いを持っている仲間なら、あるとき超人に向かうことができる日がくると信じています。
【参考文献】
F.W.ニーチェ『道徳の系譜学』中山元訳,光文社古典新訳文庫(2009年)
F.W.ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った(下)』 氷上英廣訳,岩波文庫(1967年)