「バイオリンはひょうたん型糸こすり器」などという時代が二度と来てはいけない
昨日は終戦から69年。
美輪明宏さんのNHKニュースウオッチ9インタビューをみました。
美輪さん長崎県の出身で、原爆を体験されていました。
当時は、軍人が「文化は女々しい」と言い、「三味線を演奏するなんてオカマだ、銃を持て」と殴られ、楽器を叩き折られる。バイオリンも「敵性音楽である」とし「ひょうたん型糸こすり器としなさい」と大真面目に言われたのだそうです。
こんな、滑稽なまでのばかばかしい理論がまかり通っていたのです。
美輪さんは、「頭の悪い方に権力を持たせることの恐ろしさ」と言います。
当時の悲惨な光景を涙を流しながら語っておられ、戦争の重み、そして、平和の有り難さを感じました。
インタビューの中で、美輪さんが気がかりに思っていることとして、日本人が「無意識に画一化されてきている」ことをあげておられました。
「音楽までもが無機質になっている、モノクロなのです。メロディがない。ほとんどノイズに近い。そして強弱がない。歌詞は短くてもセレクトされた美しい言葉ではなく、ツイッターになっている」
のだそうです。
豊かな情感を湛えた叙情歌が本当に少なくなりました。
私も、合唱チームビルディングでの選曲では、出来るだけ皆さんになじみのある作品を、と考えています。しかし、最近の曲ではなかなか言葉やメロディに心を揺さぶられるものが少ないような気がしていました。
心を揺すぶるようなものは、キレイなことばかりではありません。
表面は美しくはあっても、心の中にある暗い部分やエゴを見つめるものがあって初めて人の気持ちは動くものなのです。
豊かなメロディに、強弱、揺れをつけ、魂の底から人の心をゆさぶり続けるものが音楽ではないかと思うのです。
だから、ベートーヴェンやブラームスは、長い年月消えることなく残り続ける。
表面を整え、あまり心に入り込まない、ゆるい関係がキレイなことだという音楽が多く、さらに、皆が同じだと安心するという傾向がさらに音楽の画一化をすすめているような気がしてなりません。
戦時下において「バイオリンはひょうたん型糸こすり器」などとおっしゃった人は、本当に心の底から信じて言っていたのでしょうか。自分の良心を一瞬でも見つめる時間があったのでしょうか。しかし、戦争が終われば、その価値観は覆されたのです。
多様な価値観を生む、心の深みを感じていく文化を失ってはいけないと思いました。
秋にはコンサートを行う美輪さん。
魂から語る言葉、音楽、声。
上手とか下手とかを超越している美輪さんの芸術がさらなる進化をなさっているように感じました。
一回でも多く、紡ぎ続けていただきたいと思いました。