「死んでもらいます」から「生きてもらいます」へ
高倉さんは、大変ストイックなアーティストのような俳優だと思います。
任侠映画で名が売れて、でもそれに固執せず、そのあと40代半ばで独立して自分の役柄を選ぶようになりました。
任侠映画の高倉さんは、役柄に似合う言葉ではないかもしれませんが、ある意味「綺麗」な芝居だと思いました。しかし、ご自分が納得して出演した「八甲田山」や「鉄道員(ぽっぽや)」の存在感、凄みや奥深さは比類がありません。これは上手いとか美しいとかいうものを越えているように感じます。
なぜそのような演技が出来るようになったのでしょうか。
2012年月9月10日に放送されたNHKプロフェッショナルの流儀「高倉健」再放送を見ました。
高倉さんは、最小限の言葉と演技で、役そのものになりきるため、本番は1回しか撮りません。
放送の中で高倉さんは、
「映画はその時によぎる本物の心情を表現するもの。同じ芝居を何度も演じる事は僕にはできない」
「普段どんな生活をしているか、どんな人と出会ってきたか、何に感動し何に感謝しているか、そうした役者個人の生き方が芝居に出ると思っている」
とおっしゃっていました。
高倉さんの芝居は、1回限りに凝縮された真剣勝負なのです。
そのために、映画一本撮ると何年も仕事から遠ざかる。さらに心を深められて次の作品に臨まれるためなのだと思います。
高倉さんは、ご自分の感受性に磨きをかけるため、読書や美術品鑑賞、映画、音楽などに常に触れているのだそうです。
毎日通うお気に入りの床屋さんには、高倉さん専用の個室があるのですが、高倉さんの感性を刺激するようなものに満たされていたのが印象に残っています。
常に「心を震わせている」ことをご自分に課している高倉さん。
まさに芸術家と同じだと思いました。
そして、透徹されたプロ意識。
撮影を中止したくないため、一度も家族や親戚のお葬式に出たことがないそうです。
高倉さんは、「プロとは捨てるもんだと思いますよ」と言います。
そして、放送の最後に、「プロとは生業」だと短くおっしゃった高倉さん。
プロとは何か。
「生き方が仕事に出る。」
これは、音楽でもそうで、良き人生を重ねている人は、技術ではなく、何もしなくても音楽ににじみ出てくるものだということを最近強く感じます。だから、技術を磨く以前に「生き方」そのものをプロとして生きること。まさに、生きることが仕事となる。
プロとしての生き方をまっとうし、それがそのまま仕事に出ることこそ、本物のプロだと思います。
自分はどこまで出来ているのだろうか。
深く考えさせられました。