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ライフワークとしての学びを考えます。

痛みから発見する不思議な力

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痛みというものは、除けるものなら除きたいと誰でも思うものでしょう。
 
例えば、耐え切れない歯の痛み。これがあるだけでどんなに集中力が落ちることだろう。そして、歯科で治療したあとの痛みのない有り難さ。
 
私は、一度腱鞘炎で何年も演奏も仕事も失った時期があります。未熟であった自分は、幼いころからすべてをかけてやってきた人生が否定され、失われたような気になりました。回復している今、その有り難さが身に染みます。
 
そして、そのとき私は、「痛み」と「社会的死」という状況、そして「お前なんてもういらないんだ」「お前はなんぼのもんなんだ」というもう一人の自分の叫びに耐えながら、他者の気持ちを学びました。小さなプライドはくだけ散りました。
その後、同じような状況に置かれた方々の立場を見ると胸に迫ります。
 
2012年9月20日日本経済新聞「医師の目」に、麻酔・蘇生学教授の外須美夫氏の記事が掲載されており、医師として人間の生と死を見つめてこられたその深遠さに心奪われました。
 
外さんは「痛みゆえに、宗教が生まれ、哲学が育まれる。痛みゆえに、文学が生まれ、文化が育つ。そして同様に、死があるゆえに、宗教が生まれ、哲学が生まれ、文学が生まれ、文化が育つのである」とおっしゃいます。
 
「鵙(もず)鳴くや痛み神の声と聞き」
 
若くしてがんで亡くなった正木浩一さんの作品です。

     ・・・・・(以下引用)・・・・・
 
痛みを神の声と聞いた正木さんは、病気をも神の声と聞いている。病気になることによって身についた力があると作者はいう。
(中略)
痛みを健康や幸せの対立物とするのではなく、人間が生きていく所以の業として、除けるものなら除き、除けないものなら否定せず、逃避せず、ときに神の声と聞き、共に生きていくことによって他者の痛みや死に共感できるような社会に近づけるのではないだろうか。
 
     ・・・・・(以上引用)・・・・・

神々しさに呆然と立ちつくしかない。
痛みと死生観の極みで花開く不思議な力もある。
そう感じました。
 
そして、
自分の持っている優しさや、他者への思いやりはどこで学んだのだろうか。
それは、痛みや苦悩や恐怖、そして心が震えるような孤独の中からではなかったか。
 
それは、断言できるが、人生上手くいっているときではない。
 
人間にとって、痛みさえも、死さえも、意味がある。
 
それは天からの問い。
 
その問いに責任を持って答え、そこから何をつかむかだ。

今、腹の底からそう思います。
 
この深遠なる境涯に自分がたどりつけるかわからないけれども、問い続けたい。それが自分の良き人生を生き切ることになると信じています。

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