人は他人を裁いた分だけ自分も裁かれる
音楽関係の連盟の会議に出席したときのことです。
新しいことをしようとすると抵抗があるものです。
難しい現状に対して、声高に非難する声や不満だけが飛び交っていました。
納得する部分もありましたが、なぜそこまで抵抗し、人を批判し、裁かなくてはならないのかと感じました。
それよりも、これからどうするのか。そして、存続させるために細かく面倒なことを日々行ってくださっている幹事さんへの感謝があっても良いのではと思えました。
ある組織のリーダーをしている知人がいます。
その人は以前お会いするごとに、チームの方々へ対する悪口ばかり言っていました。
それはよくある、企業の社長さんが社員さんの成長を願って厳しく言っているのとはわけが違って、「この人の出来が悪いせいで上手くいかない」「この人はエゴが強すぎて扱い難い」などと裁いているのです。
不思議なことなのですが、リーダーが悪口を言っているのは、たいていスタッフやメンバーに伝わります。
そして悪口を言う人は信用されません。
言っている同じ量だけ返って来る。
自分が言っているということは、どこかで自分も言われていると思っておいたほうがいいのです。
半年後。
その方はまったくと言っていいほどメンバーの悪口を言わなくなっていました。
そのかわり、言い方のきつい人に対しては「あの方は言い難いことをはっきり言っていただけて有り難い」。あれこれ理屈をこねる人には「あの人は頭の言い人だから」と、明らかに人に対する言葉が以前とは変わっていました。
そして常に人に対する「感謝」を繰り返していました。
人が変わってしまったかのようです。
よくよく聞くと、ずいぶんと痛い思いをした様子でした。
違う会社の知人が「マネージャーになると人の悪口を言わなくなるんだよね」と言っていたのを聞いたことがあります。
ただ、良くないことや、言うべきことは、はっきりと言わなくてはならないと思います。裁かないということばかりに心が傾いてしまい、「臭いものには蓋をしろ」とばかりに、物事を曖昧にしすぎることは発展や成長を妨げます。
だから、必要とあらば裁く勇気も持つべきだと私は思います。
そして自分も納得できる批判ならば、同じようにその裁きを受け入れる準備をすべきです。
人は、他人を裁いた分だけ自分も同じ量を裁かれるのだと思います。その覚悟を持って言うことが深い説得力をもち言霊となって人に伝わるのだと信じています。