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ライフワークとしての学びを考えます。

なぜ自分の話しを聞いてもらえないのか 何も言わずに並走するのです

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みんなが自分の話しを聞いてくれない。
自分なんかが何を話しても誰も耳を傾けてはくれない。
 
そう思って諦めてしまうことがあります。
 
私は内気な性格で、自分の考えを人に伝えるのが苦手です。
そんな私が自分の考えを聞いてほしいときにどうするか。
それも、ただ社交辞令で表面的に聞いてほしいのではなく、心から聞いてほしい。そんなときどうするか。
 
矛盾するようですが、ひたすらに相手の話を聞きます。
 
楽団の方針と自分の考えが違い、その狭間で苦しんでいる友人がいました。
「こんな楽団だったら、もう辞めてもいい」。
 
あるとき、話を聞く機会があったのですが、その方は一人で延々と話し続けました。
途中「こうしたらいいのではないか?」と口を挟みたくなりましたが、この状態で言っても聞いてもらえない。すべて心におさめてひたすら耳を傾けます。
こちらが正しいかそうでないかは関係なく、すぐに答えを出してしまえば結果は簡単なのです。
 
だまってはいるけれど心が並走している。
 
その状態は、一見何もしていないようで実はとても体力がいります。
 
そうすると、その方は途中で「ああ、そうか。こうすればいいかもしれない」と、ご自分で答えを見つけられ、「有り難う。おかげで良い方向に行きそうだ」とおっしゃいます。
私は、ほとんど何もしていないのですが感謝され、そのあと、私の考えもスムーズに受け入れて聞いてもらえたという経験があります。
 
ヘルベルト・フォン・カラヤンは、オーケストラの中で、音を合わせるために違うパートの音を聴かせるトレーニング方法をよく分かっている指揮者でした。
例えば、ある場面で第一バイオリンがフルートを聴いてほしいとき。楽団員は嫌がるそうですが、そこでフルートと第一バイオリンだけの演奏を行います。そして、カラヤンは「フルートを良く聴いて、と第一バイオリンに頼むべきだ」と言います。
ただ各自のパートだけを上手に演奏していても合わないということです。
 
そこではもちろん、相手に意思を示すことも必要でしょうけれども、私は、「相手を全力で聴く」つまり、「聴き届けようとする」意思が必要なのではないかということを考えます。
そうしないと、繊細な音のアンサンブルは上手くいきません。
 
基本的に人は自分の気持ちを聞いてほしいのです。

自分自身に聞く姿勢がないところで、自分ができる以上のことを相手に求めても良い結果にはなりません。
 
それは「自分に合わせてもらいたいからそのために聞く」ということを言っているのではありません。私は究極のコミュニケーションとは、アンサンブルとは、まずは無条件に相手を聞き届けることだと考えています。
 
人間の心と、音楽のアンサンブルをまったく一緒には出来ないと思いますが、そんなときにも人の心の理を感じることがあります。
 
相手の心に並走することができれば、相手も自分の意見を聞いてくださるのではないかと考えています。

時間はかかるかもしれませんが、聞き届けることを深めていきたいと思っています。

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