どんなことでも起こることにはすべて意味がある コンプレックスや苦しみの180度転換
起こることには全て意味がある。
偶然ではない。
私は、音楽をしないでいたら、人生における苦難や劣等意識を与えられないでいたら、ほとんどそのことに気がつかないで一生を終えていたと思う。
それは、逆境や苦痛であろうと、幸福であろうと同じ。
その起こる意味に気がついたときに、人生は切り開かれていくのではないかと感じます。
その意味を見いだす力。
それは起こることを解釈する力なのだと思います。
例えば、音の形。
作曲家のバッハは、一見単なるメロディに深い意味を込めています。
例えば「フーガの技法」という作品では、絶筆前の第3フーガ主題に、音名がアルファベットであることを利用して、自分の名前「BACH(バッハ)」から、bはシの♭、Aはラ、Cはド、Hはシとする「BACHの音型」をうめこみ、ちりばめています。
単なる「シ♭~ラ~ド~シ」というメロディ。しかし、そこから「私はここにいる。お前はなぜそこにいる?世界はなぜ存在するのか?」というメッセージが遠い過去から時間を越えて聴こえてくる。
さらに、バッハ最高傑作のひとつ「マタイ受難曲」のにおいては、「BACH」の逆「HCAB」としており、「シドラ~シ♭」という重要なメロディを見ることができます。
それは、単なる星の並びを豊かなイマジネーションで星座に例えるのに似ているように思えます。
楽譜に詳しいことは書いていない。
その意味を見いだすのは演奏者の力にゆだねられている。
人生の経験を重ね、もし意味を見いだすことができたのならば、音楽は豊かになり、人の心に訴える。
その意味は、音楽だけではなく人生にも確かに存在すると思えます。
もうすぐ訪れる原爆の日。
8月6日広島原爆投下。
8月9日長崎原爆投下。
そして北海道の函館も、もしかしたら投下されていたかもしれない、とある人から聞きました。
そうしたら、私の父親はこの世に存在しなかったかもしれないと考える。
両親が出会うことはなかった。
そして、私は存在していない。
素晴らしい皆さんと出会うこともない。
たくさんの方々の尊い命が犠牲になり、今現在でもその傷跡は残っている。
深い感謝しかない。
生きている。こうして一日一日命を与えていただいている。
それは、奇跡の連続に思える。
あらゆる苦難は強いられてきたものと思っていた。
しかし、辛かったときを思い返すと、お願いだから夢であってほしいと願った、そのときこそ、自分が一番成長させていただいていたときではなかったか?その経験があったからこそ、今心から言葉が紡ぎだされる。自分が自分であることができる。
だから、起こること、その一つ一つが、音のように、星のように、意味がある。
命を与えてくださったたくさんの方々と。そして両親に。
有り難うございます。
*8月4日7:00修正 8月7日長崎原爆投下→8月9日長崎原爆投下