中国の子育ては溺愛か虐待 日本の教育は強い人間を育てない その先に一体何があるというのか
週刊モーニングで連載中の一色まことさんの漫画「ピアノの森」。ショパン国際コンクール本選会で、優勝候補の中国人ピアニスト、パン・ウェイがショパン作曲のピアノコンチェルト第一番を演奏。物語は佳境に入りつつあります。
パンはコンクールにおいて、主人公、市ノ瀬カイのライバル的存在です。完璧なテクニックで透徹された厳しい音楽。その言動は平気で他人を傷つける鋭さを持つ一方、ナイーブな内面に孤独の深さを感じさせます。
父親の分からぬ子を妊娠し、火をつけられた小屋の中で首つり自殺した女性のお腹から奇跡的に取り上げられたという凄まじい生い立ちのパン・ウェイ。孤児となり、中国人富豪のハオに買い取られるのです。ハオは、パンに虐待にも似た状況で徹底的にピアニストとしてのトレーニングを強制しました。
富豪のハオは、どうやったらピアニストとして、アーティストとして超一流になる条件を満たすことが出来るか、よく分かっていたのではないでしょうか。
挫折体験。
そして、苦難を乗り越える不屈の魂。
ベートーヴェンがそうであったように、人類の宝を発見した全てのアーティストや学者、そして経営者たちがそうであったように。
宋文洲さんは、ご自分のお子さんたちをわざわざ北京の学校に入学させたのだそうです。
宋さんのメルマガ「まけてもいい・・・」によると、「日本の学校には競争およびこれに伴う挫折の体験が少なく、当然その挫折から立ち直るための体験や教育もできません。」
「子供がついていけない時や競争に負けた時、私はチャンスだと思っています。頑張って挽回するのもいいですし、自信を失い苦しむのもいいです。だって大人の世界はそればかりではありませんか。」
と書かれています。
宋さんは、日本の教育は優しさ、思いやり、平等、公正の面は良いけれど強い人間を育てないと言い切ります。
しかし一方では、中国において親による子供の虐待、または殺人事件が頻発しているという現象も見逃すことができません。
4月29日Yahooニュースの記事『<レコチャ広場>中国人の子育ては「溺愛」か「虐待」、父が子を殴るのは「文化」―中国』の一部をご紹介します。
『ほぼすべての中国の子どもが大人になるまでに、両親から大なり小なり何らかの理不尽仕打ちを受けているといってよいだろう。両親を喜ばせれば、これでもかというほど溺愛されるが、両親を不機嫌にさせれば、殴り殺されそうになる。(中略)親にとって、子どもを育てることは「投資行為」でしかない。子どもが立派になれば、自分たちは良い暮らしができる。そのために育てるのだ』
しかし、日本でも昔の話しを聞くと、似たような考え方を感じることがあります。
今でこそ虐待と言われるまでになっていますが、理不尽な思いをした子供たちは多かったかもしれません。ある知り合いの年配の方は、「気に入らなければ怒鳴られ火箸を持って追いかけられる。怪我をしても放っておかれる。単なる労働の一員として扱われるのが嫌で田舎を逃げ出した」という話しを私にしてくれたことがあります。そういう方々が今の日本を作ってくださったのです。
本物とは逆境の中から生まれるといわれます。
なぜ世界的な偉人にユダヤ人が多いのか。歴史的に虐げられ国を持たない彼らの頼りは自分の才能。徹底的にその才能を伸ばす教育を施す。そして民族の子を守ろうとする。
ユダヤ人バイオリニストのアイザック・スターンが、どんな手を使ってでもピンカス・ズーカーマンをコンクールで優勝させた記事を以前書きました。
漫画「ピアノの森」では、今までハオを憎んでいたパンですが、本選の演奏直前に「あのゴミのような俺を見つけてくれてありがとう」と感謝の気持ちが初めて湧き上がります。
起こることは必ず意味があります。
苦難や苦痛を与えられた者は選ばれし者。
そして、苦難の先にある「感謝」という領域にたどりついたとき、その命は大きく花開く。
そのように思えてなりません。