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ライフワークとしての学びを考えます。

なぜプロフェッショナルがやっていけないのか? 「それで私演奏やめました」

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「それで、私はもうコンサートはやめました。というか、やりたくてもできない」
 
ドイツで活躍していたピアニストの知人が帰国して言っていました。
 
素晴らしい才能。
なんてもったいないと思います。
しかし反論できない。
 
「日本では、コンサートのチケットを自分自身や親たちで売りさばかなくてはならない。ドイツではそんなことはなかった。演奏会をすればお客さんは劇場が集めて入るものだったから。
演奏会のため勉強に集中したい時期に、なぜチケットを何百枚と持たなければならないのか?肝心の練習ができない。負担が大きすぎる。頑張っても黒字になることなどない。」
 
もしホールが満席になったとしても、様々な諸経費がかかってしまい、結局は利益が出ないのです。興行的に成功するのは、千人以上の大ホールが満席になるような公演くらいでしょうか。普通は、赤字覚悟で演奏会をするというのが現状なのです。
 
映画「Shall we ダンス?」の主演女優で、元バレエダンサーの草刈民代さんが、著書「バレエ漬け」に、日本における厳しい現実を書いておられましたので引用してご紹介します。

     ・・・・・(以下引用)・・・・・
 
「えー、じゃあみんなどうやって食ってるわけ?」信じられない!と目をまるくする彼ら(海外ダンサー)に、「クラスを教えたり、親に世話になっていたり、人によってだと思うけど。」と答えるのが精一杯だった。なかには、「なんで日本はダンサーがチケットを売らなきゃいけないの?」と聞く人もいた。そんなことは知らない。私のほうが聞きたい。と思いつつも、「わかんない。でも、そうしないとお客が入らないみたい」と私は答える。「ん!?」と、一瞬眉間にしわを寄せ、きつねにつままれたような顔をしたパートナーたちは、「ちょっと待って、どういう意味?」と必ず質問を続けるのだ。好奇心旺盛な青年になると、さらに突っ込んでくる。「ねぇねぇ、じゃあなんで公演するの?踊るのは仕事じゃないの?みんな趣味でやってるの?」そうなのかもしれない。
でもお客の前で踊る責任感や重圧は同じであるはずなのに。
そして彼らは当たり前に自分の出演料をもらい、当たり前に仕事をして帰っていくわけである。日本人ダンサーたちにとってのこの環境など理解できるはずがない。
 
     ・・・・・(以上引用)・・・・・

もちろん、海外であろうと、誰もがプロになれるわけではありません。バレエやオペラでは劇場という公共の機関から雇われて、契約し、劇場のスケジュールに沿って仕事をする。
 
ドイツにおいても、音楽学校の入学、卒業試験や、演奏家国家資格などの試験、就職のための試験などがあり、その結果、若い時期に選択を迫られます。
 
音楽家という仕事が一般的に認知されているヨーロッパと、プロフェッショナルとしての教育を受けて音大を出たとしても、その存在がなんともあやふやな日本とでは、そのあり方に大きな違いがあるように感じられました。
 
日本においてピンでやっていける(食っていける)ピアニストは、どんなに才能があって優秀であっても、ほんの一握りの数少ない人のみなのです。
 
冒頭の彼女が、「子供がうまれたら絶対に音楽家にはさせたくない」と言っていたのが印象的でした。
 
しかし私は、自分が日本に生まれ、日本の中で音楽をやってきたというのは、何か深い意味があるのではないかと考えています。

厳しい現実ではあるかもしれません。切なく情けなく思うこともしばしばです。でも続けなくてはならない。そして、「この自分に何ができるのか」。今後も自分自身に問うていかなければならないと思っています。

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