「ピアニストなんかなりたくなかった」 それでもなぜ音大を受験する人が後をたたないのか
マルタ・アルゲリッチ(1941年~)。アルゼンチン出身のカリスマ女流ピアニスト。
ピアニストでアルゲリッチに憧れない人はいないでしょう。天才的なひらめきで自由奔放に演奏し、難曲をものともしない強靭なテクニックと、激しいというより闘争的ともいえる推進力。そして、今はだいぶ年齢を重ねたけれども、若い頃からの魅力的な容姿。
現在彼女はもうほとんど独奏はしません。世界中のファンが彼女のソロを聴きたがっていたとしても。
なぜなら、ステージに対する恐怖からいまだにぬけ出せないからです。
室内楽またはオーケストラとの協奏曲なら弾いてくれるのですが、それもいつキャンセルされるか分からない。指揮者は、本番のベルが鳴っても「今日は弾きたくない」と控え室から出てこないアルゲリッチをなだめすかしてステージにあげなくてはならないことさえもあるのです。
ピアニストとして最高の栄光と幸せを手に入れたかに見える彼女ですら、私たちが想像もできないような葛藤に苦しんでいるのです。
天才ゆえの繊細さ。危ういほどのもろさ。
青柳いずみこさん著書「ピアニストが見たピアニスト」にこのような記述があります。
・・・・・(以下引用)・・・・・
そもそもピアニストなんかなりたくなかったとアルゲリッチは言う。(中略)先生からも両親からも、これだけ才能があるのだから、お前はピアノと結婚するのだと言われたが、承服できなかった。だいたいピアニストになることがどういうことなのか、道しるべなんて何もないことを、学んでいるときは誰も教えてくれない。
今、私自身ピアノを教える立場から、これは本当に声を大にして言いたい。ピアノは水泳や体操や他のおけいこごとと同じようにごく幼いうちに始めばければならない。当然、そこには大人の意志がかかわる。子供がある程度の年齢に達したら周囲は情報を与え、その上で選択させるべきだ。ピアノが水準に達しているからというだけの理由で音高や音大を受験する生徒があまりにも多すぎる。
・・・・・(以上引用)・・・・・
幼いころから、英才教育を施す音楽教室に入り、毎週のプライベートレッスンの送迎まで全て親がかり。高額なレッスン料、楽器の購入、練習用の防音室が必要な場合もあり、際限なくお金がかかります。周囲との競争と、先生に叱咤激励され言われるままに、音高や音大に入ることこそが素晴らしいことだと信じて疑いもせず、それこそ親も子も思考停止状態となります。他の選択肢など思いもつかないのです。
途中で迷いが生じても、今までかけた時間とエネルギーとお金の膨大さ、周囲の期待から、撤退する勇気が持てないというのが正直な気持ちなのではないでしょうか。
わたしは自分の生徒には出来る限り現実を納得するまで説明するようにしています。
努力の末、待っているのはばら色の世界ではありません。どんなに才能があったとしてもです。
「それでもやりたい?」
その道を選んだことで後悔しないように。
そして、選ばなかったことで後悔しないように。
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