紙の書籍を電子化するだけではだめなんだ
米国を訪れた際には、書店に買い物に行く。普段英語の書籍を読むわけではないので、買うのは雑誌だったりカレンダーのような季節商品だったり。先日は日本の漫画の英語版を1冊購入した。
米国で手に入れたのは、日本でも読んだことのある漫画でそれの英語版。ちゃんと日本の出版社からライセンスを受けて発刊されているものらしく、デザインも日本語のものと同じだ。異なるのは価格。いまでこそ円高だからそれほど大きな差にはなっていないが、英語版は約14ドル、日本のものは800円くらい。14ドルの漫画本というのは、イメージ的にはかなり高い。
日本にくらべると、米国は書籍の値段が高いと思う。まあ、売れない本は書店でセールもしているので、そういうのを手に入れればいいのかもしれないけれど。米国では書籍が高いからこそ、ちょっと安い電子書籍が売れているのだろう。さらに、流通の問題もある。サンフランシスコなどの都会ならば書店もあるにはあるが、日本ほど充実しているわけではない。おのずと書店で購入するよりは、通販なでとなり、それが電子に変わることに抵抗はないだどころか便利になると感じるのだろう。
それにくらべ日本は、たとえば家を出てから都心にある会社にたどり着く間に、数件の書店があるなんていう状況も珍しくはないかもしれない。もちろん地域によっては書店が少ないところもあるだろう。しかしながら、減少したとはいえ多くの人にとって書店は身近な存在だと思う。そんな事情もあるからか、米国などは紙が電子に置き換わるだけで、かなりメリットというか価値を感じるのだろう。ところが日本はその部分は現状ではあまり価値とは感じずに、むしろ紙の良さが損なわれたというデメリットにすらなっているわけだ。
ということで、単純に現状の紙の書籍なりを電子に置き換えても、日本ではなかなか成功できないだろうと思われる。とくに文庫本野新書で流通するような小説などは、十分に安価に流通している現状もあり、電子化してそれよりもさらに価格を下げた場合に、出版社としてビジネスが成り立つかはちょっと疑問だ。よっぽど売れることが見込めるもの以外は、たいした利益が出ない。そうなれば、紙の書籍を乱発する現状よりもさらに、出版社は書籍を乱発することにりかねずへとへとに疲弊するのではと心配になる。
とはいえ、電子書籍がだめかというとそんなことはないだろう。そもそもの発想として、電子中心に考えることができれば、新しい世界が開けると思う。
上記の記事に、
電子でやるなら動画を付けてもいいし、レコード会社と組んで主題歌を付けてもいい。みんなで1つのコンテンツをかたちにしていく。そういう作業がこれから、していかなきゃならなくなると思う
という福井氏のコメントがあるが、まさにこの発想。紙の呪縛から解き放たれて、電子ならではの作り方、表現の仕方があるということだ。実際のところ、現状の電子書籍は紙の書籍よというよりは、Webのページ表現のほうが近いものだ。Webでできることは大抵のことが電子書籍でも実現できるといっていいだろう。とはいえ、Webではなく電子書籍なので、電子書籍ならではの表現をいろいろと工夫することになる。たんに音声や動画を加えるだけではまだまだだろう。TwitterやFacebookとの連携は当たり前になると思われる。さらに、福井氏が言うように永遠に完成しない小説というのは興味深い。読み手によって複数のストーリー結末なんていうことも可能だろう。
いま我々が頭を悩ませているのは、アフィリエイトなどはすぐに思いつくところだが、さらに電子書籍ならではの広告表現を編み出したい。電子雑誌の出版を考えた場合に、これは必ず必要になることであり、どんな表現や仕組みが実現できるのか。いろいろとアイデアは出てくるが、実装するための技術と併せて大いに悩み中なのだ。