自分のためという感覚だけでは、なぜ成長できない?
「次世代のリーダーになれる素養」
というものについて、いろいろと考えながら学生団体の支援をして数年になります。
社会人となった学生スタッフの仕事ぶりを聞いたり見たりしながら、学生時代に彼らに感じていた資質、就職先の環境なども加味して、リーダーとなる素養というのはどのように芽生えていくのか、彼らがどのように成長しているのか、ということを考えています。
人と同じことをやりたがらない
人の面倒をみるのが好きだ
自分に高いプライドを持っている
学生時代にいろいろと主張していた彼らの資質が、社会人になってどのように花開いたのか、ということに興味を持ってみています。
なんでもやってあげると、そのうちに「やってもらう」ことが普通になってしまいます。
過保護に育てられた、とは思っていない彼らも、豊かな社会で育ってきことで、「やってもらう」ことが普通になってしまっています。
自分たちが会社に対して、社会に対して、何をやってあげることができるか?
という思考ではなく、
会社や社会が自分に何をしてくれるのか、ということが中心になってしまっているようにも感じます。
どのような教育を受けることができるのか?
福利厚生はどのようになっているのか?
就労条件は?
など、条件面などの「何をやってもらうのか?」ということばかりを見て、その条件が自分の要求を満たせば「安定」という判断をしています。
一番の安定は自分の能力を高めることで、その努力から逃れるための安定であれば、その待遇が継続できないことを理解させないといけない時代になっています。
自分の仕事はちゃんとやっています。
の、「自分の仕事」の定義が自分勝手になっていると、組織の中では浮いてしまいます。
最近は「社会起業」などに興味を持つ学生も増えてきました。
その動機が、自分の人生を懸けてでも社会が抱える課題を解決したい、ということであれば、企業という営利企業に就職したとしても、企業内の仕事を通じて社会が抱える課題を克服することができます。
お金を稼ぐために仕事をするという動機でもいいのですが、お金を稼ぐためには人のため会社のため、社会のためという強い意識が必要ではないかと感じています。
人材育成の仕事は、社会環境の変化などを強く意識しておく必要がありますが、育成対象となる人材の持つ特性なども同じように強く意識しておかないとうまくいきません。
グローバル人材の育成以前に、様々な特性を持っている日本人の対応についても、しっかり考えないといけない時代だと、つくづく感じます。