社員が考えて仕事をするようになるために、
人材採用から人材育成までの支援していて、
従来の人材育成の考え方が通用しなくなってきたということは前から感じています。
知識が足りない人材には知識伝承型の研修を実施すればいいわけですが、
横軸に「やる気」という軸をとってみると、
最近の研修の課題が少しは見えてきます。
最近の学生や若手社員は、
http://news.livedoor.com/article/detail/4245903/
などに象徴されるように情報や知識については簡単にインターネットから入手します。
また、教科書なども、
http://mainichi.jp/life/electronics/cnet/archive/2008/06/30/20376234.html
のような電子書籍に変わってきています。
知識は記憶するものではなく活用するものに変わってきています。
その中で知識研修などの意味合いも大きく変化してきています。
会社で必要となる人材は、知識が豊富なだけでなく、
プロジェクトの時間軸を前に前に、
プロジェクトの品質を上に上にあげるということを常に考える人材が求められます。
知識が簡単に手に入る時代になると、
このように仕事に対して積極的に取り組む姿勢を持っている社員を育成する仕組みを
考える必要があります。
来週は、このような話を東京で行う予定なんですが、
どうも各企業の反応は芳しくありません。
主催する企業の営業の方にもご理解していただけているかは少し疑問もあります
紹介する側が理解できないものは紹介しようもないというのは理解できます。
人材育成の考え方などは、時代の変化には敏感に反応して変化していかないと、
個人と違って組織というのはすぐに時代に取り残されてしまいます。
そこを非常に危惧しています。
ワークライフバランスなどを大きな声で唱えるのは組合ではなく、
仕事ができる能力を持った義務を果たした社員であるべきで、
権利ばかり主張していると、会社から一番先に必要ないと言われてしまいます。
そうしないと会社を存続させることに保障できません。
それでは、場が無くなるので仕事ができる社員までが仕事ができなくなってしまいます。
http://www.city.adachi.tokyo.jp/009/d03100141.html
逆に仕事ができる能力を持つことを放棄した場合には、
ワークライフバランスではなくワークシェアの方に議論を変えていかないといけません。
しかし、それでは個人の生活が保障できるかどうか疑問です。
http://www.rengo-ilec.or.jp/event/ronbun/no01_05.html
どちらを選択するのも自由ですが、
当社は前者を選択する自分の権利を主張する前に、義務を果たすための能力を高める
という覚悟を決めた人材を支援するのが仕事と考えています。
後者は社会主義的な考え方に近いようにも感じますが、
安易にそのような選択をするのは
いかにも日本型資本主義+豊かな生活にどっぷりとつかりすぎた弊害のようにも感じます。
ただ、そのような制度を選択しないといけない会社も増えています。
少なくとも、会社にも同僚にも迷惑をかけない仕事を行うことができるということが
雇用を継続してもらうために必要なことではないでしょうか。
そのレベルは就職する会社によって異なります。