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計測できそうでできない多くのこと。エンピリカル(実証的)アプローチで。

「名前の適切さは間接的に品質に影響する」という仮説

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ソースコードの変数名、メソッド名、設計ドキュメントのサブシステム名として「こだわってつけてるなぁ」という名前は、時間をかけて作成することができた部分であり、その周辺もきちんと作りこまれている。逆に名前が安易につけられていると時間をかけられなかったことを示していて、品質に問題があるかもしれない、という仮説を考えた。

ソースコードの変数名へのこだわりというのはよく聞くが、設計時に「・・・部」というようなサブシステム名にどれくらい時間をかけてらっしゃるだろうか?名前にこだわる理由は自己満足という側面もあるだろうが、メンテナンス性に響く。また、他の開発者への誤解の可能性を少なくするだろう。

「処理部」というような名前は確かに中身を表しているが、理解容易性という点では少し疑問が残る。「処理」がシステム固有の言葉として使われていれば別だが、どのような機能であれ、何らかの処理をするからだ。ソースコードの変数名でも同様のことがいえるのではないだろうか。

適切な名前をつけるためには、それなりに時間に余裕がないと難しい場合が多い。何度か見直したり、全体との関係を考える必要があるからだ。もし機能名や変数、メソッド名の名前の適切さで時間をかけて作成できた部分とそうでない部分との相対的な品質を予測することができるのではないかという気がする。もちろん、時間を十分にかけているが、名前のつけ方がいまいちという例外もあるだろうし、個人差も大きいように思う。

ご自身の経験や身の周りではどうだろうか?

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