この国の厳しい著作権について振り返る
今、改めてこの国の著作権がいかに厳しいものであるかを具体的な例を交えつつ振り返ってみようと思う。
まず音楽について考えてみると、この国のレコード会社の権利意識は生易しいものではない。楽曲データを入手する価格は決して安くない。量販店でセール品として売られているようなものはともかく、アルバム単位であればCDを買うか、音楽配信を利用して曲単位で入手するしかない。レコード会社の意向で音楽配信に消極的だったビートルズの楽曲は、つい最近まで「CDを買ってリッピングする」しか正規の入手ルートがなかった。世界には、アルバム単位でDRMフリーの楽曲データを格安に入手する手段(*1)が提供されている国もあるというのにである。
そうして正規に入手した楽曲でさえ、うるさく注文をつけられることがある。音楽に合わせて幼い子供が踊っているビデオを動画サイトにアップしたら不正利用だと訴えられたり、あげくは公衆の場で着メロを鳴らすのは着メロの利用範囲を超えているから余分に金を払えという裁判まで起こされたくらいである。こうしたレコード会社の横暴に裁判所が屈しなかったのは幸いではあるのだが。そもそもこの国の著作権法には、個人的な著作物の利用は合法だとする明文の規定がない。だから、どんな行為でも公正さを訴えることはできるが、裁判を受けずにすむという保証はないのだ。
テレビ番組で音楽を利用することも容易ではない。音楽をただ演奏・歌唱する以外で利用するためには“シンクロ権”という壁を乗り越えなければならない。一般に、その許諾にかかる費用は高額で、やすやすと市販の楽曲を番組のBGMに使ったりはできない。
そうまでして楽曲に対する強い権利を主張するのであれば、さぞ著作権者も大切にされるのだろうと思うところだが、これもそうではない。たいていの場合、楽曲に関する権利はレコード会社が買い上げる形を取るため、著作権者は売り渡した楽曲に関しては何の権利も行使できなくなるのである。それが嫌で楽曲の提供を渋るアーティストもいたくらいだ(*2)。そもそもレコード会社はCD(レコード)を制作して売るのが商売であるにもかかわらず、最近ではCDだけでは儲からないと言って、アーティストが行うコンサートなどCD以外の収益までレコード会社が手をつけるようになってきているのである(*3)。
映像についてはどうだろう。テレビ番組を自由にビデオテープに録画できていた時代は過去のものとなった。デジタル放送になり高画質化したのはよかったが、テレビ番組にはうっとおしい局ロゴが目立つようになり、録画先もレコーダー装置内に限定されてしまった。この国ではテレビ局がやたらと力を持っており、個人的な複製行為ですら容易には認めてもらえず、「タイムシフト」(時間をずらしてテレビ番組を視聴すること)という概念を取り入れることで、ようやく個人のテレビ番組録画が合法扱いされたという苦い過去があるのだ。
そして、Windows には Windows XP の時代から Windows Media Center という便利なソフトがついていたが番組録画を抑制する「放送フラグ」という仕組みが考え出され、それは不当だと認定されたにもかかわらず、ある時期から特定の番組を録画できないことになった。そして、Windows 8 では Windows Media Center 自身が標準機能から外されてしまったのである。そもそも市販のレコーダーもデジタル放送をそのままディスクメディアに保存する機能を持つものは販売されていない。それこそがデジタル放送のメリットであるのに、ハードディスクに“一時的に記録”することしか許されなくなったのだ。技術的には大容量のデータを収録できる blu-ray という方式が何年も前から実用化されており、他国ではレコーダーも販売されているのに、この国ではいまだにテレビ番組のレコーディング先として利用できないのである。
テレビ番組を他国に配信しようとする試みも容易には認めてもらえない。テレビ番組の転送サービスを行おうとするある会社は、正規の対価を払うことを拒否したわけでもないのに、差し止め請求を食らってしまった(*4)。
このように著作権意識が厳しいのはテレビ局だけではない。映画会社もそうである。DVD の次世代を担うメディア争いではリージョン(地域制限)を設けることができなかった HD DVD ではなく、強力なコピープロテクトとリージョン制限を備えた blu-ray が映画会社の支持を集めて勝利した。今では再生装置の国情報を元に、フランス語音声はカナダでのみ利用できるとか、スペイン語は米国のみで聞けるという、細かな再生制限が設けられることも珍しくなくなってきている。コピープロテクト以外の制御は利用者にまかせておけば、他国語版のプレイヤーを用意する必要などなくなるのに、逆の方向に向かっているのだ。
かつては映画のDVDをパソコンでリッピングするためのソフトを販売しようとした会社もあったが、孫コピーの作成やコピー回数の制限を設けていたにもかかわらず、著作権を侵害するものとみなされ、販売を差し止められただけでなく、多額の賠償金を支払わされることになった(*5)。
この国では、動画配信ビジネスが急速に成長していることと喜んでいる輩もいるようだが、そのようなサービスを利用しなければ動画を好きなデバイスで再生しにくいという状況の裏返しという見方もできるのである。
書籍はどうだろう。出版においては、著作者の権利である著作権という言葉はむなしいものだ。いったん出版社に買い取られた著作権は、著者の自由にはならなくなる。たとえば著書の一部を他の書籍や資料として提供してほしいと求められた場合でも著者の一存ではどうにもならず、出版社に“お伺い”を立てる必要がある。
思い起こせば検索エンジンが書籍を検索の対象とした際に、喜んでこれに乗っかろうとしたのは出版社協会や作家の組合であり、個々の作家の反発などは意に介されなかった。そもそもこの国における電子書籍の普及には、書籍の著者ではなく出版社に許諾権が移行していたことが影響している。個々の作家に電子化の可否を選択する機会は与えられず、出版社の言いなりに電子出版が認められていたのである。
そうしたコンテンツのパロディについても、決してやさしく見守ってもらえるとは限らない。世界には商業規模で大規模な二次創作作品が扱われるイベントもあるというのに、この国は他国で制作されたパロディにまで裁判を起こしてやめさせようとした過去があるのだ(*6)。
そして、それほどまでに著作権者の強い権利意識を反映してか、著作権の保護期間も非常に長い。国家も著作権者に強く味方しているのである。そして図らずも、この国のコンテンツビジネスが世界の中でも特筆すべき商業的成功を収めていることが、この方向性が今後もゆるがないであろうことを示唆しているように思えるのである。
(アメリカ旅行中の筆者より)
*1 もちろん日本のCDレンタルのこと。
*2 YMO の"Behind The Mask" は Michael Jackson の "Thriller" への楽曲提供を打診されつつも断ったという噂がある。
*3 欧米のレコード会社では「360契約」という、包括的な契約が一般化している。
*4 米国のテレビ番組を再配信しようとした http://www.ivi.tv/ は差し止め請求を食らったままである。
*5 RealDVD を売り出そうとした RealNetworks は、著作権を侵害するものだとして裁判で敗訴し、多額の賠償金を支払うことになった。
*6 これに反発したフランスは、パロディを合法化する規定を明文で追加した。