新・都市伝説リスト
・信じることは宗教、疑うことは科学
「都市伝説」というとカッコよく聞こえるが(←そんなわけがない)、要するにデマであり、嘘である。そもそも、「デマ」とは「でまかせ」の略だが、かつて「嘘こけ!」という言い方が転じて「デマをこく」と言われるようになり、そこから嘘をつくことが「デマこき」、さらには「デマゴギー」なる言葉が生まれた。たんに「デマ」と言えばいいところを、英語と勘違いしているのか「デマゴギー」と高尚ぶって言う輩は多いが、「ミーハー」と同じでダジャレが元になった純然たる日本語なのである……というのは、今作った虚言なので、良い子は信じないように。
最近、「ザイール大使館員付き添い付きで子ども手当請求きた」というデマが流れた。まさに、ニセモノの良心で孝好氏が「信じたいものしか信じない」で懸念していたことが再発したかのようだった。Twitterは自分がフォローしたい人のメッセージが流れてくるから、ある程度“信頼のバイアス”がかかってしまうのだろう。そのためリツイート(RT)して情報を流すほうも“確認”を怠ってしまう。
子ども手当の件は、デマであるという情報も広まっていったと思うが、前エントリで取り上げた「日本の携帯通話料金は高い」のように、ちゃんと確かめてみればわかることが延々と事実であるかのように語られることがある。こうなるともう都市伝説と言ってもよいのではないだろうか(参考→ wikipedia の「都市伝説一覧」)。
誤解のないように断っておくと、「日本の携帯通話料金は高いとは言えないから、通話料を下げる必要はない」と言っているのではない。逆である。通話料を下げるべき理由として「日本の携帯通話料金は高い」と言ってみたところで、それが事実でなければ主張の根拠が揺らぎ説得力を失う。牧野淳一郎氏が言うところの、
無知と事実誤認に基づいた批判は、結果的に「批判は無知と事実誤認に基づくものである」という反論を容易にさせるもの
であるのだ。私がキャリアの立場なら、「日本の携帯通話料金は高い」と言われても、「調べてみれば間違いだとわかりますよ」と一蹴するだろう。自分の主張を確固たるものにしたいなら、信じることではなく、疑うことから始めるべきだ。自分が信じることは、自分が信じる宗教を信じてもらえない人には通じない。科学的な根拠を持つものなら、誰が信じるかに関係ない普遍性がある。
ちなみに、デマにしろ、都市伝説にしろ、やっかいなことに時として実効性を持ってしまうことがある。wikipediaで「取り付け騒ぎ」を調べてみると、まったくのデマから信用不安を引き起こして破綻させてしまった例が紹介されている。お金を預けている銀行が「危ない」と聞いたら、それが真実か嘘かどうかにかまっていられないという気も起きるだろう。だが、デマはデマ、間違いは間違いである。デマをネタに行動を起こしたところで、社会がよくなるなんてことはない(誰かにとって都合のよい社会になる可能性はあるにせよ)。
いまだ見かけるデマについては日頃から批判しているつもりだが、それらを新・都市伝説としてまとめて本エントリを書いてみることにした。なお、以下の説明はテクニカルなので、四則演算のできない自称経済学者は読み飛ばしてほしい。
・都市伝説「日本の携帯通話利用金は高い」
これは、別のエントリで解説した通りである。福田尚久氏へのさらなる質問は“華麗にスルー”されたようだが、補足する点があるとしたら米国のキャリアが提供している「無制限プラン」であろう。長電話が好きな人にとっては、この無制限プランは魅力的に見えるかもしれない。一方、日本にあるのは、せいぜい「同一キャリア内の無制限プラン」だけで、キャリアを超えた通話が定額無制限になることはない。なぜ米国では通話先のキャリアに関係なく定額で無制限の通話を提供できるのだろうか。
これもそのエントリに書いた発着信の課金によるものだ。米国以外では通常発信側のみに課金されるが、通話は発信と着信があって成立する。日本では(おそらく他国でも)、着信側にかかるコストは発信側に吸収され、通話の旅に発信側キャリアから着信側キャリアに支払いが生じる。したがって、キャリアが違う着信分は勝手に定額無制限にはできないのだ。一方、米国のように発着信の課金が独立していれば、発信側は着信側のコストにとらわれることなく、発信側の分だけを考えればよい。「キャリアを超えて定額の無制限通話」を実現したいのなら、発着信課金を全キャリアで導入することになるだろう。
しかし、それは利用者が望むことだろうか。あまり電話をしない人が安めのプランを選んでいても、無制限通話のセールスマンから電話がかかってきて長話をさせられると、途端に高額の電話代が請求されることになる。それがわかっていれば、即座に電話を切るだろうが、着信したからには1度数は消費してしまう。私は、そんな仕組みはまっぴらごめんだと思うのだが。実際、ネットにしろ、携帯にしろ、米国で生活する私の知り合いで米国のサービスがうらやましいという人はいないし、むしろ日本がうらやましいという人ばかりだ。
**都市伝説「日本の電子書籍が遅れている」
これに追加して「書籍の電子化が遅れているのは出版社が抵抗しているからだ」と続く場合がある。しかし、先日のニュース「米電子書籍販売、2・8倍 09年、キンドルなど普及」(47news)によれば、
米出版社協会(AAP)が7日発表した2009年の米国での書籍売上高(推計)によると、電子書籍の売上高が前年に比べて約2・8倍の約3億1300万ドル(約290億円)に達した
とのことである。何度も取り上げているが、日本の電子書籍市場は2008年で464億円に達している(impress R&D)。290億円というのは2007年の日本の実績(355億円)よりも少なく、GDP比(約3倍)を考えれば、5年前の実績(2005年、94億円)程度と考えてもおかしくない。この実績値には、以前取り上げた電子書籍は含んでいないのだ。どこが「遅れている」というのだろうか。
47newsの記事には、「書籍全体の売上は約238億5600万ドルだった」とあるので、これは2兆円と言われる日本の出版市場規模(新聞は含まない)と同程度であり、必ずしもGDP比を持ち出すことは適切ではないのだが、それでもなお、売上げ実績という面からみれば電子書籍の開拓が遅れているのは米国の方である。
・都市伝説「ブック検索の和解案に、日本の出版社が大反対した」
ブック検索の和解案について、日本の大手出版社は何もしていない。荒俣宏氏のブログによれば、わざわざ著者向けに「日本の出版社には直接何の権利もないので、この和解に介入することができず」と明記して案内を出していたくらいだ。実際、和解案について話題になった時点で、出版社の知り合い数人に声をかけてみたが、具体的に行動に結びついた例はない。当初、異議申し立ての締め切りは2009年5月5日だったが、その2週間前に和解管理者に確認した限りでは「(私以外は)皆納得してくれている」と聞いていたくらいだ(彼らがごまかしているのでなければ、だが)。
その後、日本文藝家協会や小規模な団体が反対意見を表明していたが、大手の出版社が異議申し立てをしたという報道は最後までなかった。日本は、国としても具体的な行動をとらなかった(少しばかり注文を付けた、という程度だ)。修正和解案が、「ベルヌ条約により他国の著作物も自動的に和解案に縛られる」という当初の説明と矛盾する形で対象作品を英語圏の国に限定したのは、ドイツやフランスが国として反対し、国名義で異議申し立てするほどの行動を起こしたからに他ならない。
・都市伝説「iTunes Store が音楽ビジネスを変えた」
米国ではそうかもしれないが、日本は違う。日本に音楽配信というビジネスをもたらしたのは、着メロであり、着うたである。iTunes Storeがサービスを開始したのは米国でも2003年4月であるが、着うたは2002年12月にはじまっている。日本でiTunes Storeがオープンしたのは2005年になってからだ。着メロの配信サービスがはじまったのは、さらに遡って1998年のことである(J-Phoneのスカイメロディ)。音楽配信において日本が後れを取ったというのは、歴史的にはデタラメとしか言いようがない。
市場規模についても言える。これも何度も取り上げているがRIAJの音楽配信売上実績によれば、インターネットダウンロード(iTunes Storeなどが含まれる)の売上げは102億円であるのに対し、モバイル向けの売り上げは793億円である。インターネットダウンロードの内訳はわからない(AppleはiTunes Storeの国別売上げを明らかにしていない)のだが、やはりRIAJによる「音楽メディアユーザー実態調査」によれば、iPodとiPod以外の携帯オーディオプレーヤーの比率が23.4:18.5となっているので(p.25)、やや多めの6割をiPodとして、比例計算でiTunes Storeの売上げを推計すると、約60億円程度になる。これは音楽配信市場(910億円)の6~7%を占めているにすぎないのだ。(まったくの余談だが、最新の据置型ゲーム機(Wii、PS3、XBOX360)におけるXBOX360のシェアが約8%、XBOX360用のソフト販売本数のシェアは約10%である)。
・都市伝説「検索エンジンは日本の著作権法を免れるために海外にサーバーを置いている」
おまけで「日本の著作権法が検索エンジンの起業を阻害した」というものもある。だが、日本のインターネット黎明期を知る人なら、日本でもさまざまな検索エンジンが作られていたことを覚えているだろう(Yahooに似た名前のYahhoなんてものもあった)。Yahoo!が台頭するまでは、日本でも教育機関を中心に検索エンジンを提供していたものだ。もちろん、世界でも数多くの検索エンジンが作られていた。
その際、検索エンジンがコンテンツを探索(クロール)する際に、著作権が問題視されたことなどなかった。robots.txtは、著作権保護ではなく、クロール避け(ボットに対するルール指定)のファイルである。グーグルが台頭したのは、たまたまページランクというアルゴリズムがよい検索結果を得られると評価されたからであって、アメリカの著作権が緩いからではない。
そもそも「検索エンジンは日本の著作権法を免れるために海外にサーバーを置いている」というのであれば、日本にいても、海外のサーバーを使って起業すればよい話である。そして、検索エンジンに限らず、ファイルローグにも、録画ネットにも言えることだが、ほんとうに「日本の著作権法が厳しすぎるから潰される」と思っているのであれば、アメリカに行って起業すればいい。私の知る限り、ファイルローグや録画ネットにそのままあてはまるというサービスは、今なお米国にはない。たとえば、最高裁まで争って勝利したCablevisionはケーブルテレビ契約者に対するタイムシフトしか提供しておらず、日本で適法とされているまねきTVのように国を超えたプレースシフトまで提供するサービスではない。そもそも、私はまねきTVに類するサービスですら米国で見つけることはできなかった(知っている人がいたら教えてください)。
・都市伝説「もはや人々はテレビ番組を、テレビではなく動画共有サイトで見るようになってきた」
この手のデマは、「俺ソース」という典型的な例だとも言える。「もう俺はテレビを見ない」「テレビの時代は終わりだ」という人が、こういうことを言いたがる。しかし、そうした人が典型的な日本人を代表しているわけではない。「テレビ離れは進んでいるか」で取り上げたことだが、NHKの個人視聴率調査(PDF)によれば2009年11月の時点でもテレビは1日平均で3時間55分も視聴されている。視聴時間を延ばしているのは高い年齢層であることは、国民生活時間調査報告書から推察できるが、それでも一般には1日何時間かはテレビを見ているのである。そして、これは「テレビをまったく見ない人」も含めた平均値である。
そのエントリでもふれたが、動画共有サイトの視聴時間はビデオリサーチが2008年に調べている。その調査によれば、年間で3200万人が、平均12時間22分程度視聴している。この平均値には、動画共有サイトを見ていない人は含まれていない。日本の人口の4分の3は、そもそも動画共有サイトを見ることすらなく、見たとしても1日平均で2分程度なのだ。テレビの視聴時間とは比べ物にならないくらい小さな数字である。テレビの時代は終わったと言う人は、思考が終わっている。
・都市伝説「コンテンツ(著作物)は、P2Pによるファイル共有で入手するのが当たり前の時代だ」
RIAJによる「ファイル共有ソフト利用実態調査」の最初の項目「ファイル共有ソフトの利用状況」によれば、「ファイル共有ソフトの「現在利用者」の割合は、9.1%」とある。つまり、アンケートに答えた残りの90.9%の人は少なくとも現在はファイル共有ソフトを使っていないのだ(アンケート調査は、調査対象がいかに分散しているかが重要であるが、今回のアンケートはNHK調査のような住民基本台帳を使った無作為抽出ではなく、結果が偏っているおそれはある)。今回のアンケートはアイリサーチにより実施されたもので、アンケートに答えているすべての人はインターネット利用者である(母数は日本人全体ではない)。前述の動画共有サイトの訪問者数が3200万人であることを考えれば、(テレビとの比較で考えなければ)「人々は動画共有サイトを見るようになってきている」とは言えるが、たかだか9.1%(しかも前年比では減少)の利用率で「当たり前の時代」とまでは言えないのではないか。
さらに言えば、全員が音楽や映画をダウンロードしているわけでもない。目的として「多くの音楽をダウンロードできる」を挙げているのは利用者の半数、「多くの映画をダウンロードできる」を挙げているのは2割である。もちろん、ファイル共有ソフト利用者が全員音楽好きや映画好きというわけではないだろうが、CDの購入や音楽配信を利用するといった消費活動の変化という項目を見ても半数以上は以前と変わらないと答えている。「減った」と「増えた」を差し引きすると「減った」の割合は4分の1以下だ。少なくともRIAJが行ったアンケートの対象者に限れば、ファイル共有が産業に与えている影響はせいぜい数%程度と予測できるのではないだろうか(ちなみに、携帯の違法な無料着うた系による利用経験者比率はずっと高いようだ)。もちろん、その利用者はわずかなのだから放置しておけばよい、というわけではない。
・都市伝説「P2Pによる不正なファイル共有にも宣伝効果がある」
かつて「「著作物の共有による損害ははっきりしない」というレトリック」というエントリを書いたときに取り上げたのが、「WinnyはCD売上を減らさず~慶應助教授の研究に迫る」(ITmedia)という記事である。その時にも指摘したが、この記事では「CDの購入者」と「ファイル共有ソフトの利用者」という、まったく異なる集団であるはずのものを一緒くたにしている((余談。学問としての経済学を馬鹿にするつもりはまったくないが、実社会とまったく異なるモデルを当てはめて、実社会の動きを説明しようとする一部の(自称)経済学者にはうんざりする。))。前述の通り、ファイル共有の利用者はインターネット利用者の中でもごく一部であるのだ。
3ページ目の説明では「Winnyには宣伝効果があるとする仮説」という表現が使われていて、記事では必ずしも肯定はしていないが、「ファイル共有が売り上げ増をもたらす例」があると紹介している。そして、これを曲解して「ファイル共有が売り上げ増をもたらす」と言いきってしまう人がいる。本来、「ファイル共有」→「売り上げ増」という因果関係を説得するには、一つ二つの特異な事例で説明できるものではない。NHK出版の『フリー』で、無料公開モデルが印刷物の販売に成功をもたらしたとされているが、それは無料公開そのものが「ニュース」として話題になったからだ。「無料公開」→「印刷物販売の成功」という因果関係が成立するなら、NHK出版自身は新刊についても次々無料公開を行っているはずだが、その気配はない。
……もう少し書きたいことはあるが、疲れてきたので、ここらでひとやすみ。
※本エントリは、個人ブログからの転載です(多少、改変しています)。