キャリアの脱皮を成功させるコツ−永井の場合...リンダ・グラットン著「ワークシフト」から
遅まきながら、2012-2013年にベストセラーになった「ワークシフト」(リンダ・グラットン著、プレジデント社)を読了しました。
アルビン・トフラーの未来論、トーマス・フリードマンの「フラット化する世界」、さらに個人のキャリア論などの要素も含んだ力作で、とても参考になりました。
p.276-277に、「キャリアの脱皮を成功させる3つのコツ」が紹介されています。
私は30代前半の頃から「50歳になったら独立しよう」と考え、1年遅れで51歳になった2013年に独立しましたが、自分のことを振り返るととても納得できる内容でした。
■「第一は、新しいチャンスが目の前に現れたとき、未知の世界にいきなり飛び込むのではなく、新しい世界を理解するために実験をすること
私は1984年から2013年まで日本IBMに会社員として勤務していました。2006年頃から「本を出版したい」と考えていました。そこでまず、当ブログを始めてみました。
1-2年間書き続けてコンテンツは溜まりましたが、出版社のツテが全くありませんでした。
初めての本を出版したのは2008年。自費出版でした。
その後、2冊目(初の出版社経由)は2010年、3冊目(自費出版)は2011年3月。どれも、あまり売れませんでした。
並行して2009年から2010年にかけて、色々な方々に取材して本の企画を数本立てましたが、いずれも没。出版は実現しませんでした。
4冊目は2011年7月。初めて重版がかかり、とても嬉しかったことを覚えています。
5冊目が2011年11月に出版した、「100円のコーラを1000円で売る方法」。これはおかげさまで、2012年度の年間ベストセラーになりました。
しかしこの1冊だけでは、独立して食っていける自信は全くありませんでした。
第2巻目(2012年9月)が10万部の増刷になり、第3巻目の目処が経って、やっと独立の踏ん切りが付きました。
2006年から6-7年かけて、仕事で学びを得て、それを本に書く、という経験を積み、この世界について学びを貯めたおかげで、スムーズにキャリアを変えることができたのではないかと思います。
もし「100円のコーラを1000円で売る方法」が売れた2011年にいきなり独立していたら、恐らく経験・理解ともに不十分で、迷走を続けていたでしょう。収入が絶たれた状態で仕事が迷走状態に陥ると、様々な面で余裕を失い、かなり厳しい状況になります。
いきなり飛び込まず会社員を続けながら、忙しいながらも余裕を持ってじっくりと試行錯誤できたのがよかったと思います。
また、勤務先の日本IBMが社員個人がプライベートの時間を使って本を出版することについてとても理解があることも、大変有り難いことでした。
ただ当たり前ですが、会社やお客様・取引先の機密情報・専有情報については書けません。
加えて会社の勤務時間は執筆できません。独立までの5年間、週末/夏休み/GW休暇/正月休みなどのプライベートの時間をすべて使い執筆をしていました。この5年間、勤務先の仕事量も増える一方でした。完全休養の日はほとんどなく、時間的な余裕はほぼゼロでした。
■「第二は、自分と違う大勢の人たちと接点をもち、多様性のある人的ネットワーク(ビックアイデア・クラウド)を築くこと。」
おかげさまで、このオルタナティブブログを中心に、社会人大学院である多摩大学大学院、「朝カフェ次世代研究会」、出版関係、その他、本業以外の知り合いの皆様とのご縁にはとても恵まれていたと思います。
有り難いことです。
この1つのきっかけは、ブログや本、講演などで情報発信を継続してきたからではないかと思います。「情報を発信する」ところには、「情報が集まる」ということのようです。
■「第三は、はじめのうちは本業をやめず、副業という形で新しい分野に乗り出すこと。」
私にとって、出版は「ギブバック」でした。
自分がスキルや経験を付けたのは、世の中の先輩方のおかげです。だから、「世の中に自分の学びをお返ししていきたい」。これが「ギブバック」という考え方です。
そのため私にとっては、出版は「副業」という意識はありませんでした。事実、自費出版を続けていた最初の2-3年間は、毎年数十万円の単位で持ち出しが続いていました。
結果的に、本業である会社員を続けながらその学びを情報発信し続け、独立後の現在はその情報発信そのものが本業になった、という形になっています。
この「3つのコツ」は、色々な形で応用が利くのではないかと思いました。