オルタナティブ・ブログ > 永井孝尚の写真ブログ >

ライフワークを持とう。ライフワークを究めよう。

「まずは日本語でもいいので、自分のことを説明できること」 朝カフェ次世代研究会、首藤薫さんご講演『異文化とのビジネスコミュニケーション』 #asacafestudy

»

昨晩、首藤薫さんご講演による第16回 朝カフェ次世代研究会『異文化とのビジネスコミュニケーション』を行いました。

普段は朝6:30開始ですが、今回は第2期打ち上げを兼ねて、夜18:30開始です。

実は、首藤さんとは、20年近く前にIBM大和研究所の開発部門でご一緒させていただいて以来の長いお付き合いです。現在は、同じソフトウェア事業のマーケティング部門にいます。

ご講演では、外資系企業で、長年グローバルの人達と一緒にビジネスをやってきた首藤さんならではご経験談を中心にお話しされていました。

私も実際に経験してきたことも多く、共感する内容でした。

 

首藤さんもお話ししていましたが、日本のこと、自分が勤務する会社のこと、自分や家族のことを、言葉でちゃんと説明できることは、グローバルビジネスコミュニケーションでは、とても重要です。

実は、日本にいると、このようなことを言葉で説明しなくても、ほとんど問題ありません。相手が遠慮して聞かないので、説明しなければいけない場面は、すごく限られるのですよね。

しかし、グローバルコミュニケーションでは、自分とは何かをちゃんと説明できることで、相手も自分を認め、コミュニケーションが成立します。

普段から、まずは日本語で、これらを説明できるようにすると、いいのではないかと思います。

また、一例ですが、私が海外に行く場合には自分の写真作品で作ったポストカードをよく持っていきます。

プライベートの話しになった場合、このポストカードを上げたりすると、写真は万国共通言語ですから、すぐに私のことを理解してくれます。

ある英国人から、「ポストカードをくれた永井さんには、特別な印象を持っている」と言われたことがあります。

仕事以外の、アートや音楽、スポーツのような自分が打ち込んでいるものや、自分の普段の考えをちゃんと言葉で説明できることは、日本人同士のコミュニケーション以上に重要です。

私の経験では、これができると、たとえ自分の英語が不器用でも、意外と容易に心を開いたフランクなコミュニケーションができるように思います。

流暢な英語が話せるに越したことはありませんが、それは、けっして必須条件ではないのですよね。

 

Twitterのログをご覧いただくと、他の方々の意見もご覧になれて、議論の様子がよくお分かりになると思います。


 

 

首藤さん、ありがとうございました!

 

講演の後は、近所の飲み屋で、9月から始めた朝カフェ第2期の打上げを行いました。

いつも朝しかお会いしていない人ばかりで、このような形でお話しするのは初めての方も多く、とても楽しめました。

私も珍しく沢山お酒を飲んでしまい、ちょっとはしゃぎすぎてしまったかもしれません。

4月から『朝カフェ次世代研究会』を行い、今年は16回開催できました。

今まで知合う機会がなかった多くの方々とお知り合いになることができ、本当にありがたく思っております。

 

次回の朝カフェ次世代研究会は、第3期として、来年4月13日(水)から開催します。

引き続き、よろしくお願いいたします。

 

Comment(1)

コメント

英語圏に行けば、片言の英語でも通じる。暮らしてゆける。
完全な英語でなくても、英語環境がととのっているから通用するのである。
英語環境がととのっていれば、そのうちに、英語も上達する。

我が国においては、どんなに英語が堪能であっても就職先に困る。
それは、人々が英語を使わないからである。これでは、暮らしがなりたたない。

日本の学校で6年間英語の授業を受けてもまず話せるようにならないのは、英語環境がととのはないからである。
一歩学校の外に出ると英語を使わないのでは、せっかく習った英語も錆ついてしまう。
日々の学習努力も賽の河原の石積みとなっている。

日本の学生のために英語環境を整えることが、語学力を増すことにつながると考えられる。
それには、英語を我が国の第二公用語にするのがよい。
国民も政治指導者も、英語の使用を日本人のあるべき姿と考えることが大切である。

国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しく行われている。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。
英語を実用の言語とする政治指導者のさきを見据えた努力が大切です。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。

英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。

一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育はない。
我が国においては、教育といえば子供の教育のことを指している。目先・手先のことのみを述べる人は、子供のようである。
大人には考える教育が必要です。一人一人に哲学が必要です。
現実と非現実の間に区別を置くことなく語る人の内容には意味がない。だから、日本の知識人には価値がない。

「感情的にならず、理性的になれ」と国民に訴える指導者がいない。
「国民の感情に反する、、、、、」と言うのでは、主張の論拠にならないが、それのみを言う。
感性 (現実) あって理性 (非現実) なし。我が国は、一億総歌詠みの国にとどまっている。

大学生は入学しても、キャンパスで4年間遊んで過ごすことになる。
無哲学・能天気の大学生は、平和ボケ・太平の眠りの中にいる。
「入学を易しく、卒業を難しく」というような教育方針は現状を観察すれば空しい限りである。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

コメントを投稿する