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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

オリンピック、もう一度原点に戻ったら?

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オリンピックが行われている。そもそもスポーツ観戦が大好きな私は、ずっとテレビをに食い入るように見ている。考えてみれば、日本人にとってオリンピックは特有な意味を持っていると思っている。つまりテレビの視聴環境が整った状況でちょうど東京オリンピックが開催されたという歴史があるのだ。当時9歳だった私だが、アベベとかヘイズとか、ショランダーとか、チャスラフスカなどの素晴らしい姿を今でも良く覚えている。

あれから48年、ロンドンで3度目のオリンピックが開催されていて、2回後に東京でと、また手を挙げるようだ。私は、東京での開催には反対で、日本においてオリンピックが経済成長の大きなステップにつながったということに思いを致すと、アジアを始めとした諸国の成長につながるように途上国での開催を日本は支援すべきだと考えている。また、開催のための負担は資金面など大変だと思うが、これを支援することで世界平和に貢献することも日本が果たせる重要な役割だと考える。

もっとも、ここにきて、本当に経済成長が素晴らしいのか、必要なのか、という基本的な問いを投げかけられているような気もする。このあたりは今後のオリンピック開催についても、真剣に検討すべきではないか?そして、あまりに商業主義がはびこったオリンピックが適切なのかどうか、原点に戻って考えてみる必要があると思う。

各国からの選手の素晴らしい活躍の中で、残念なニュースも多く流れている。韓国選手に対する差別発言、ロンドン市長の広島発言、更には中国や韓国のバドミントンの選手の失格などだ。差別発言や広島発言には、さすがに驚かされるが、これだけ世界の間で交流が広がり、人権擁護の流れが続く中でも、相変わらず欧米の白人至上主義が残っていて、しかも第二次大戦に対する原爆投下に対する反省の念がないということが、残念でならない。

このことは、日本のお家芸柔道の判定などにも表れている。テレビで解説者が言っていたが、これは柔道ではなく「JUDO」という別のスポーツなんだということだ。確かにそう考えれば分からないわけでもないが、要は欧州などでの柔道の競技人口が増える中で、自分たちの都合のよいルールに変えたということ。もちろん海外に多くの競技者がいるからオリンピックでも競技として成り立っているので、そのことは評価すべきだが、でもあれはどう考えても柔道ではない。新たな格闘技だ。だとすればそういう名称を付けて柔道という名を廃止すればどうか?私自身柔道正課の中学・高校出身なので思うのだが、組み手を争い、後ろに下がって反則を誘うなどというのは柔道ではない

体操についても、私は中学・高校時代体操部で、当時の強い日本の体操に思い入れがあるのであえて言えば、やはり採点方法に疑問がある。どうも離れ業などリスクの高いもの、派手なものに重点が置かれていて、実施つまり美しい演技には厳しい気がしている。良く見てみれば分かるが日本選手の演技は、足先まできれいになっていることが分かると思う。そして、それが例えばチャスラフスカなど、昔の体操のあり方だったのだ。

もう一つが、国家至上主義。そして金メダル至上主義。もちろん誰でも金メダルは欲しいだろうし、そのために多少の戦術はあると思う。しかし確かにバドミントンの試合はテレビで見る限りひどいものだった。もともとクーベルタン男爵の志に立ち返れば、やはり「参加することに意味がある」という精神を取り戻すべきだろう。

国家至上主義については、ソウルオリンピックでボクシングなので異様な判定が行われ米国などにおいて相当険悪な雰囲気になったのを記憶している。しかし、これは一つにはオリンピックの開催の仕方もあるのではないか?もちろん個々人が国籍を持っていて、また参加を平等にするために国家という単位を基準として使わざるを得ないのは理解できる。だが、それ以上に国対抗をあえて儲ける必要があるのか?例えばダブルスなど個人競技でなければ、誰と組んでも良いとか出来ないのか

そもそも国の数が増え、競技が増えて、参加のための選別プロセスが複雑になり、一方で開催国の負担も考えて、かなり期間を絞った開催にするから余計に国単位という概念が重要になってくるのかもしれない。

思い切って、一定の基準を満たせば誰でも参加できるようにして、国対抗的な色彩を外し、オリンピックの元々の趣旨に戻って、スポーツを通じて世界が本当に交流し合い、それが世界平和につながる、そんなオリンピックにしていく工夫が求められる。

最後になるが、今回オリンピックを見ていて、日本の若者は素晴らしいと改めて感じている。皆が、オリンピック精神にのっとり、全力をあげてフェアに競技に挑み、そして結果を素直に認め、負けた場合は勝者をたたえ、勝った場合はチームメートや応援者をたたえる、まさにオリンピック精神そのものを見事に体現している思う。日本人自身がもう一度彼らの姿を見ながら、自分たちの素晴らしいところを思い起こし、それを育て世界に貢献していけることを祈っている。

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