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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

いじめ、根本問題を考えよう!

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大津の事件を皮切りにいじめの問題が話題を集めている。この手の問題が出るたびに、行政、教育委員会、教師、そして加害者だと目される生徒に対する批判がマスコミを席巻するのを見ていて、いつも違和感を感じる。

もちろんいじめは悲惨だし、なくさなくてはならない。確かに、学校側や教育委員会は、隠ぺい体質で且つ事なかれ主義、対応が遅い、それは事実だろうと思う。更に言えば、いじめた生徒たちも、そもそも程度を超えてひどいことをしている。

だが、いじめがなぜ起きるのか、もう一度ちゃんと考える必要はないのか?ただ、一部の当事者を批判していれば、そしてその課題を解決するようにすればいじめはなくなるのか?

例えば、先に書いた隠ぺい体質や事なかれ主義、遅い対応は教育委員会や学校だけなのか?日本中の行政や企業だって同じではないか自分のことを棚に上げ、何か起きるとそれを徹底的に攻める、これこそいじめではないか?そしてそんないじめ体質の社会をテレビやインターネットで嫌というほど見せつけられながら育った若者が、いじめをしてしまうというのは決して不思議ではない。

一方でいじめたとされる生徒の親のコメントなども時々紹介される。個別の事実関係が分からないので、いちいち評価することは難しいが、一般的に「自分の子供は悪くない」というものが多い。もちろん煽るためにマスコミがそのようなものだけを流しているということもあるのだろうが、そのような感覚、つまり自分たちの権利だけを主張し、社会で生きる上での最低限の責務、つまり他者を尊重する、ということを親が示せなければ、どうやって子供たちは育つのか

もちろん自分の子供は大事だが、子供をきちんと世の中で生きていけるように育てるのも親の責任、可愛がる、大事にするだけでなく、叱る、諭すということが出来なくてはならない。そして、それは多分親だけでなく社会全体の責任でもある。

それを社会が果たせていない状態で、ただ教育委員会や学校の仕組みを変えても、何の解決にもならない、というかもっと悪い方向へ進むのではないか?つまりとりあえず問題ないようにしておけばよい、責任を負わないように決められたことだけやる、という対応だ。

もちろん学校なども、生徒とのコミュニケーションをもっと取りながら、少しでもいじめをなくす、或いは早期に発見するように工夫すべきだが、それ以上に親や周りの大人たちが、社会に生活する人間として他者を尊重し、その責務を果たすようにお互いに注意し合うことが重要だと感じる。まずは手始めに、知らない人にも「おはおようございます」と挨拶してみてはどうか

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