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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

まずは自分が一歩進むこと!

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この間のニュースで、大阪維新の会が民主党や自民党よりも支持率が高く、28%と報じされていた。

確かに、橋下氏の演説は歯切れがよく、世の柵を断ち切って、下降傾向にあるわが国に新しい希望を与えてくれそうに感じる気持ちは理解できる。

だが、思い起こすべきは、細川政権、そして現在の民主党政権だ。細川政権が誕生した時、55年体制は過去のものとなり、バブルの崩壊と相俟って、そして東西冷戦構造が消滅した新たな世界秩序の中で、日本が大きく変わることを期待した国民は多かったのではないか?

更に、3年前、民主党政権が誕生し、自民党が政治を主導する時代が終焉を迎え、新たな価値観による、そして国民の意思が政治に反映される時代を期待した国民もまた多かったのではないか?

では、大阪維新の会が、本当に日本を変えることが出来るのか?もちろんその可能性があるのであれば、ぜひ期待したいところだが、まだ具体的な政策も見えないし、そのメンバーも分からない。ましてや、大飯原発への腰砕けを見ると、ちょっとがっかりしているのも事実だ。

それでも、細川政権や民主党政権が、政党の枠組みは変わったものの、既存の政治家主導で推進されたのに比べて、大阪維新の会は明らかに新たな勢力なので期待できるという考え方もあるだろう。

だが、それこそ原発再稼働の流れなどを見てみると、実はもっと根源的な問題に気づくのではないか?つまり如何に原発が危険だとしても、製造業が経済の主体だと認識する限り簡単に電力供給を減らすという議論が出来ないという、既存の体制に依存する精神とその社会における力だ。

たまたまこの問題は大企業である電力会社の既得権益とつながるように見えるので、マスコミ的には批判しやすい。だが、おそらく片方の極には、例えば社会保障などの既得権益を守る勢力もいる。

このような根本的なところを、全く新たな発想で変えていかない限り、経済も社会も政治も財政も成り立たないということを認識すべきだが、大阪維新の会は果たしてそういう提言をしているか、或いは出来るのか?ポピュリズムがベースのように思われるこの集まりに、これを期待するのは難しいように感じる

少子高齢化が進む中で、これだけの負債を抱えた国家がこのままのサービスを提供できるはずはない。年金や健康保険などを最低保証を確保しつつ削減する必然性があるのは、最早否定できない。そのために増税が必要かどうかは、どれだけのサービスを行政に担わせるかという判断だ。最低限の行政サービスに限定し、あとを民間にゆだねる仕組みにすれば、ひょっとすると増税は不要かもしれない

製造業が重要な産業であることは間違いないが、でもGDPに占める比率は3割以下。しかも、相変わらず価格競争に明け暮れる戦略しか立てられないのであれば、所詮国際競争で生き残る可能性はないので、電力供給をして延命をすること自体が無駄かもしれない

それよりは、国民の命を守るという、国家としての最低限の責務をどう果たすかということに注力し、一方で国民全員でより省エネルギーの、更には省資源の、場合によっては今よりとっても不便な生活を甘受する、ということが結果として国民の生活を永続的に守る上でもっとも効果があるのではないか

だとすれば、どこか新たな政党や新たな政治家に、その覚悟もなくて実現できない大転換を期待するよりも、国民の一人ひとりが現実を認識し、政治や行政に依存しない生活へと転換していく方が早いのではないか?期待や依存がなくなれば、その行政サービスや政治構造をなくすことは容易になるのだから。

 

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