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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

何もしないリスクの方が大きいのでは?

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私も仕事などで様々な企業や団体と一緒させていただく機会が多いが、どうも最近特に日本の組織が機能していないように感じる。

バブル時代に、イケイケドンドンで意思決定が迅速化された時期はあったが、結果としての失敗が多かったことで反省もあるのか、その後決定が遅くなり、そもそも瞬時に決まる華僑などのアジアや、米国に比べての遅さにジリジリした時代があった。だが、このところの1-2年はそれに輪をかけて遅くなっているように感じる。

それに、そもそも単に遅いのではなく、サボタージュと言うか、何もしない対応も目立つように感じている。例えば、トップから命じられても、何か都合のよい理由をつけて対応しない、更には何度も督促されても知らぬふりをする、などが企業、団体に限らず蔓延しているように感じるのは私だけだろうか?

確かに、リーマンショック後の世界経済は不透明であり、方向性を決めるのは難しいだろう。ましてや、政治の情勢がこんなでは、そもそも政策のかじ取りの方向性すら見えないわけで、だから慎重にならざるを得ないという理屈も一つだとは思う。

だが、バブルの崩壊後、既に20年間我々は何も決断していない、何も前向きのことはやってきていない、と言っても過言ではない。その間、ただ膨らむ財政赤字、これを支えるために新たな分野への投資には向かわない貯蓄、益々目前に迫りつつある少子高齢化などの中で、成長力はただひたすら右肩下がりで低下してきた。

このまま静かに身を縮めていれば、嵐が過ぎ去り再度浮上の可能性が出てくるなどということがあり得ると思っている人はいないだろう。だとすれば、今こそ多少思い切ってリスクを取ってみるべきではないか?そして組織の構成員それぞれが、もっと前向きに動いてみるべきではないか?

もちろん軽々にリスクを取るべきではないので、きちんとリスクの所在やその影響度は認識し、更に現実にリスクが発生した際の責任を明確にすべきだが、何もしないことのリスクの方が、今は明らかい大きい感じる。そして、多分皆がそれを感じつつ、決断できない、またそのような動きに竿を指す、そんな組織になっているとすれば、わが国の社会そのものがまさに崩壊へ向かっていると言わざるを得ない。

どうせ静かにしていても沈んでいくのなら、思い切って動いてみる、そこから活路が見えてくるとように考えられないだろうか?個人個人がそれぞれの立場で保身に走れば、組織は思い切ったリスクテイクをする場合よりもっと早く消滅に向かうような気がする。

こんな状況に至った理由の一つは、日本の教育システムであり、エリート教育の不在のように思う。誰もリスクを取らない、そしてトップの指示があっても動かない、というのは異常だと感じる。もし、相変わらず東大が日本の教育の頂点で、その出身者が社会のために全身全霊で働くという認識だとすれば、残念ながらそれは機能していないのだから、象徴的に東大をなくしてしまうというのはどうだろうか?そこから何かが生まれるような気もしている。

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