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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

人のためになればきっと未来はある、自信を持とう!

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今アメリカです。どうもいつもドタバタで、今週も遅れて済みません。今年も残り少なく、地震から始まって何となく暗い一年だったように感じます。欧州の金融危機やアメリカの経済の停滞も相俟って、これからの日本の先行きも見えないというのが現状です。

これは、江戸時代の末期以降わが国が追い付き追い越せと思考してきた欧米流の政治・経済・社会制度が何となく揺らぎ始め、一方で中国を始めとした大国が台頭する中で、少なくとも明治以来のわが国の方向感に疑問が見えてきたということだと思います。

確かに、明治維新を通じてわが国の近代化を支えたのは、欧米流の民主主義的な考え方であり、近代工業化でした。更に、戦後の日本の復興は、この民主化を米国の主導によって推進する一方で、米国の傘のもと全国から国民を工業地帯に集積して重化学工業化を進めたことが、一時的には米国に迫る世界第二の経済大国を作り出したのも事実です。

しかし、戦後の成長をある意味で支えた東西冷戦構造は崩壊し、先の見えない環境下方向感を持たない集中的な投資活動の行きすぎでバブルは崩壊し、その後の世界経済の環境も相俟って、わが国自体が方向感を喪失しています。

その中で、リーマンショックやこれに続く欧州危機によって金融資本主義の限界が露呈し、また民度の向上や飽食の時代の価値観の多様化と同質化などもあって、先進国における議会制民主主義は機能しなくなりつつあります。

そのような中、わが国は何を目指して国家運営をすればよいのか、経済が停滞する中で、一人ひとりの国民は、何をすればよいのか、立ちすくんでいるというのが現実です。でも、良く考えてみれば、明治維新も戦後の復興も、仕組みとして欧米流の民主主義や資本主義、金融システムに依存してきたことは事実ですが、これを支えたのはシステムだけではなく、江戸時代以前から培ってきたわが国の国民の教育の浸透度や社会の安定性でした

戦後の行き過ぎた自由主義の浸透で、多少弱まっているところはありますが、まだまだこれらの力は世界の中では誇れるものがあると思います。だから、これを信じて、これまでのやり方にこだわり拘泥するのではなく、新たな価値観を持って進んでいけばきっと未来は明るいはず。

ウォールストリートの一部の資本家だけが儲かるしくみとか、世界中と競争してただ安いものを作らなければならないという強迫観念を取りはらって、日本らしい社会貢献をすればよいのだと思っています。

政治でも、企業活動でも、公益活動でも、結局それぞれが単独で成り立っているわけではなく、人間の社会はあらゆる活動が他の人々と結びついています。そして、最後は自分が関わるそれぞれの活動が、その対象となる他の人のためになっているか、で価値は決まってきます。

どんなに素晴らしい会社でも、どんなに安い商品でも、生みだす商品が顧客のためにならなければ、最後は崩壊します。どんなに高邁な理想によってスタートしたNPOでも、そのサービスが無料であっても活動の相手にとって役に立たなければ意味がありません。活動が収益目的であっても公益目的であっても、最後は活動の相手の満足がすべてです。

日本は、工業の世界で小さなものを作ること、精密性、そして品質という点で、世界の工業に貢献してきました。一方で、サービス産業においては、引き続きその気配り、ホスピタリティは世界有数と言われます。そして、優しい国民性、素晴らしい国土、誇れるものは山ほどあります。

だから、これらを生かし、お客様や周りの人々そして世界の国々や人々に、日本らしくどう役に立つか考えていけば、いくらでも可能性はあると考えます。ひょっとすると、世界を変える新たな政治の仕組みを考案できるかもしれないし、世界に先駆けて高齢化する上で、これを支える社会システムを作れるかもしれない。何でも欧米流、金融中心の、価格競争中心の資本主義でなく、わが国の強みを生かす質の高い商品や優しいサービスに価値を見出す仕組みを構築できないでしょうか

そうすれば、もっと自信を持って前向きに皆が生きられるはずですし、平和を大事にし、人種や宗教に偏らない文化を重んじる日本という国が、日本人が、もっと世界から認知されると思います。

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