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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

人材育成をどうするか?

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先般の政府の事業仕分けでは、大学教育などが課題になったようだ。ちょうどこのところの政治家の質への疑問や、原発問題への対応に関しての行政の対応更には大企業経営者の対応への議論とも相まって、考えさせられるところだ。更にオリンパスと大王製紙、要わが国の教育システムが機能していないのではないか、という疑問が湧いてくる。

多分このことは今に始まった話ではなく、明治維新以降どこかから徐々に進んできたものだろうと推察するが、わが国もその一員である先進国の政治・経済・社会が大きな転換点に差し掛かっている現状で、この国のこれからに責任をもつリーダーがいないということには暗澹とした思いを感じざるを得ない。

と言って、今すぐスーパーヒーローが現れるわけでもなく、今こそ人知を尽くして人材育成について真剣に考え、進めていくしかなく、その成果が10年、20年のオーダーで結実していくことを期待するしかない。

ちょうど友人が大学の法学部の教授をしており、ロースクールの課題について述べていた。司法試験の合格率が年々落ちてきているのは事実であり、法律の専門家の就職難もあって、要は本当に優秀な学生は法科大学院には来なくなっていて、益々レベルが落ちているので、制度を見直すしかないのでは、というものだった。

法科大学院制度の経緯は詳しくは知らないが、一つには米国を含めた海外のシステムとある程度平仄を合わせておこうというものだろうと思うし、そのこと自体は首肯出来る。TPPが本格的に効果を発揮すれば、弁護士などについても垣根はなくなるはずなので、必要なことだろう。

もう一つは、おそらく大学時代から長期にわたって司法試験の勉強だけを続けてきた人間だけが法曹になるのは、司法の役割からして偏りが発生するので、社会経験がある人間を含めて幅広く法曹を志す人たちに機会を与えるというものだと理解する。

この点で、一部の相当な社会経験を持つ合格者の報道などを見れば、ある程度の成果が見て取れる。一方で、やはり法科大学院の学生の大部分が大学卒業と同時に入学した者たちだということも事実で、これで制度の趣旨が保たれるのか、というのも疑問の一つだ。

法科大学院での教育を前提にしているので、司法修習は短くなりその分法曹実務についても法科大学院で教えることとなっているのが実情だ。従って、そうでなくとも細かい解釈論などを要求される法律の分野に、更に訴訟実務なども入ってきて、結局学生がテクニカルな部分の勉強に終始しているのではないか、ということも想定される。

もちろん法律やその解釈についての最低限の知識は必要であろうが、実務面の教育は修習所で行うことが出来るので、やはりより幅広く基本的な社会に関する認識の醸成や論理的思考力の確保に重点を置くべきではないか、という気もする。現実の学生のレベルも、とても社会人として通用するレベルではなく、ただただ知識レベルでの勉強に集中して、話の理解力や説明力がないということだとすれば、けっして日本の法曹のレベルの引き上げにはつながらない。

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